ビジネス

2017.01.27

空き資源への想いその2

端的に「空き家再生」と表現される場合でも様々な要因がある。単独の空き家や、専用住宅
だけを対象とするものではない。以下のような幾つかのポイントがある。

・「敷地主義」という限定されたものではなく、地域の抱える社会的、経済的な課題の
解決を図る。
・オフィスや店舗ビルの空きフロア、利活用の進んでいない公共空間など、「遊休不動
産」全般を対象とする。
・大家(不動産オーナー)と店子(ビジネスオーナーや居住者)、および両者の間
をつなぐ新しい職能が、それぞれリスクを分担し、相互協力して地域の不動産価値を
上げるための仕掛けを考える。
・補助金に頼らず融資や自らの出資を基本とし、ハードよりもコンテンツ(中身)重視
で持続可能な事業計画を考える。
・地域の活性化は総合的現実的な対応が必要であり、様々な分野の人々の連携の仕組みを
考える。例えば、建築、不動産、デザイン以外に、マーケティングやメディア、法務や
財務など会社経営に関わる専門家、IT分野の起業家、劇作家など多様な領域を横断する場
造りを行う。
現状では、建築の専門家、不動産の専門家といったプロフェッショナル同士のつながりが
薄く、まちづくりの場合、そうした境界を越えて自分には『関係ない』と思っていた
世界に少し足を踏み入れる必要がある。

さらに、多くの成功事例では、「いかに当事者になれるかだ」というようなその地域の人の
かかわりの強さのようだ。こんな言葉もある。
「従来いわれる計画者や設計者というのは、計画するだけ、設計するだけの人。それ
で、使う人に『はい』って手渡して終わる。自分も含め、まちづくりや建築に関わる人
は、それが普通だと思い込んでいた。でも、普通だったのは、ほんのこの数十年。それ
より以前は、企てた人間がつくって、そのまま使うのが普通だった。
自分で企て、自分でつくって、その同じ人が店なりシェアオフィスなりを始めるのでも
全く構わない。なんで分けているんだろう?と最近では思う。ある人が大家になった
瞬間に周りの大家さんが自分の話を聞いてくれるようになった、と言っている。
象徴的なエピソードで、それは当事者になったから。計画者や
設計者として、よそよそしくまちと付き合うのではなく、当事者になる。そういう関係
をまちや建物と結んだ瞬間に、それまでと違うスタンス、違うクリエーティビティが生
まれる。

大分昔、京都北部で若い人の移住推進、空き家の活用など地域の活性化を支援したこと
があった。私は企画やIT関連の開発支援をしたが、地域内の様々な分野の人も集まり、
軌道に乗ったと思ったが、2年後には解散になった。
この活動を主体的に推進していた2人がそれぞれの事情で地域を離れ、それを継ぐ人が
いなかったのが主因であった。
やはり最後は人だ、その反省はいまも残る。さらには、そこに住んでいることが根本に
なければならない。

社会状況としては、「地方移住が過去5年で4倍になった」という大きな流れもある。
わたしの周辺でも数人の若い人が東京から戻ってきたり、この自然の良さの中で、
生活したいというひとも少なくはない。
毎日新聞とNHK、明治大学地域ガバナンス論研究室(小田切徳美教授)の共同調査によ
ると、2014年度の地方移住者数は1万1735人で、2009年度からの5間で4倍
以上に増えている。岡山県、鳥取県、長野県、島根県、岐阜県の上位5県で全体の
48%を占めており、長年移住促進に取り組む地域とそうでない地域の格差が
拡大している。東北や近畿は移住者が少ない。
さらには、都道府県をまたぐ転居を行った転職者は、転居先が「過去住んだことがある地域」
「友人・知人のいる地域」「縁もゆかりもない地域」で約3分の1づつとなっている。

最後に幾つかの事例を見ていく。
・北海道、十勝平野の東北部に位置する本別町。
農業や酪農が盛んな人口約7400人の小さな町は、全国に先駆けて、福祉の観点から
空家の利活用を進めている。町内の空家を地域の資源と捉えて、空家所有者に改修を促し、
住み替えを希望する高齢者に低価格の賃貸住宅として貸し出すという試みだ。
例えば、農村部に住んでいた高齢者が、より生活利便性が高く福祉施設も多い中心市街地
の空家に住み替えをする、といった事例が生まれている。
・鳥の劇場は、鳥取市鹿野町で、使われなくなった小学校の体育館を劇場に改修し、10年間
活動を続けている。田舎の廃校に演劇集団がやって来てから10年。がらんどうだった体育館は、
住民に愛される劇場へと生まれ変わった。廃校とは、「地域の歴史や人々の思いが詰まった場所」。
NPO法人「鳥の劇場」は、地方から演劇の可能性を広げ続けている。

他にもシャッター通りににぎわいを戻したり、廃校を地域の図書館に改装し若い人や年寄りの
憩いの場所にしたり、その事例は年々多くなっている。だが、それが社会全体の大きな
うねりとなってきたとは言えない。

現代の都市論に大きな影響を与えたジェイン・ジェイコブズが都市計画のポイントを
4つほど論じているが、そのうちの2つは十分噛みしめる必要がある。
・古い建物が出来るだけ多く残るような再開発を進める。
・都市の各地区は必ず2つ以上の機能をもち、多様性を高める。
再開発が進み、均質化する都市の中で、昔から存在する建物は、地域に活力をもたらす
源泉になり得る。効率化社会の実現を優先とした公共財への投資と便利さのみを優先させた
行政手法がまかり通る現状だが、単に古くなったからというだけで壊していくことが
最善なのか、空き資源の増加はそれを問うてもいる。

2017.01.20

空き資源への想いその1

大分前から空き家、空き店舗、廃校、空き施設などを「資源」として捉えれば、
地域には豊富な資源がある。しかし、空き資源を活用している地域の事例はあるものの、
それが大きな動きになっているとは思えない。

「空き資源」の意味
「空き資源」とは、空き家、空き店舗、廃校、空き施設などについて、地域創生のため
の活用を前提に前向きに捉えている場合のことである。「廃校」は事実でも、地域にと
っては「廃校」は住民にとっては我慢ならない言葉であるということから、「空き資源
」と表現し、住民感情に配慮したものである。しかし空き物件を「資源」として捉えれ
ば、地域には豊富な資源が存在するというわけである。
だが、それは行政的な思考なのかもしれない。
空き家は、新築物件が増えているという状況だが、人々が空き家を活用してそこに住居を
構えるという状況は少なく、多くの地方都市のアーケード街がシャッター通り化している
のも変わっていない。資源は増えているのだが、それらが資源とみられていないのだ。

これは、我々の周辺でも同じ状況だ。
六年ほど前にこんな動きがあった。
大津市の志賀地域で企業の保養所が多数放置されている問題で、市は志賀地域の市街化
調整区域の開発許可基準を緩和する方針を決めた。
一戸建て用の分譲住宅地としての開発を可能にする内容で、用途転用が困難だった保養所
の住宅化を進めて廃虚化を防ぐ狙い。
 市によると、志賀地域には昭和40年代から製造業や金融機関などの保養所が建設され、
現在、琵琶湖岸などに約220施設が残る。そのほとんどが景気低迷やレジャーの多様化で
閉鎖されたままで、景観や防犯面から改善を求める声が地元住民から上がっていた。

 これまで保養所の土地は都市計画法の市街地化調整区域にあたり、用途変更が困難だった。
市は昨年4月から個人の土地所有者に限って住宅地としての用途変更を認めたが、転用は進まなかった。
 新たな開発許可基準では、志賀地域の保養所など既存建築物の敷地(2000平方メートル未満)で、
一戸建ての分譲住宅地としての開発を認める。個人の土地の所有者だけでなく、企業や
土地購入予定者も開発でき、道路の設置も可能にした。ただ、別荘や賃貸住宅は認めないとした。
そして、平成二十五年に地区計画ガイドラインが作られた。
だが、いまだ多くの保養所には人影も夜の灯もみえない。湖辺を歩くと芝生や庭園に囲まれた
瀟洒な建物が湖のさざ波を聞くかのように北小松までの何百棟も静かにたたずんでいる。
数十年前は休みにもなると、多くのサラリーマンが関西のあちこちからきていたのであろう。
経済論理が優先する企業では、行政だけの動きだけでは無理であろう。
地域の住民の想いがどういうような形に進められるのか、彼らを動かすきっかけや力を
どう見出すのか、よくわからない。

この保養所の活用は、10年ほど前に、行政や地域の不動産、それに私のNPOも加わり、
一部の地域ではあるが、比良山、琵琶湖の自然と小さいながら多く残る史跡を含んだ
計画を進めようとしたが、町の合併、景気の後退などで頓挫したことがあった。
成功事例の多くでは、具体的な成果が見えてくるのは10年以上が多い。「かっこの良い」
うたい文句はなくとも、地道に執念深く実施していくことが一番肝要なことなのであろう。
さらには、私の周辺でも空き家が目立ってきている。多くは高齢者がこの少し急な坂道や
つながりのない近所付き合いの中で、十分な生活が送れなくなってきているからだ。
結いという昔からのつながりとは無縁の形で移住してきた人々にとって、地域との
つながりをどううまくつけていくのか、今更ながらの課題だが、そろそろ真剣に向き合う
時期でもある。

全国の空き家数は約820万戸(2013年)で、総住宅数に占める空き家の割合は約14%
という驚くべき数字がある。7戸に1戸は空き家という県もある。
まちづくりは、国や自治体が主導するも十分な成果を上げてきたとは言い難い中心市街地
活性化策の問題などの行政主体ではうまくいかなかったことを反省として、「民間自立」
が必要なのであろう。空き家対策も同じだ。

宇沢弘文も社会的共通資本という中に、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、
ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に
維持することを可能にするような社会的装置を意味する、と言っている。
また、社会的共通資本は、純粋な意味における私的な資本ないしは希少資源と対置されるが、
その具体的な構成は先験的あるいは論理的基準にしたがって決められるものではなく、
あくまでも、それぞれの国ないし地域の自然的、歴史的、文化的、社会的、経済的、技術的諸要因
に依存して、政治的なプロセスを経て決められるものである、としている。
われわれも空き資源をその地域の特性に合わせて考えていく必要がある。

2016.12.02

インターネットの次に来るものと第4次産業革命

政府が掲げる成長戦略「日本再興戦略2016」や「ニッポン一億総活躍プラン」など
政策パッケージにより、2020年には名目国内総生産(GDP)を現在の約500
兆円から600兆円に引き上げる目標がある。
その基本の柱は「第4次産業革命」お言われるものだ。AIやIOTを活用することで
産業構造の大転換を図る。要はAI(人工知能)やIOT(モノのインターネット)
を活用することで、産業構造を大きく転換しようという取り組みである。
その意味で、「インターネットの次に来るもの」は現況と今後を見ていく上では、
参考となる。

ベースになる報告書が経産省の産業構造審議会の「中間整理」として「『新産業構造
ビジョン』~第4次産業革命をリードする日本の戦略~」として出ている。
その中で、「産業構造・就業構造の試算」として2030年の「仕事」の増減
を大胆に予測している。試算では、人工知能やロボットによって放っておけば735万人
の雇用が減るとした。職業の種類別にも試算しており、「製造・調達」で262万人、
「バックオフィス」で145万人、経営や商品企画などの「上流工程」で136万人の
仕事がなくなるとしている。
以前にも、「機械との競争」「フラット化する世界」など含め人が機械にその働きを
奪われることの指摘は多くされてきた。
多分、これは避けられない潮流なのであろう。

だが、たとえば、「機械との競争」で指摘されていることも十分認識すべき必要がある。
「機械との競争」では、
・テクノロジーが雇用と経済に与える影響
・創造的破壊、加速するテクノロジー、消えて行く仕事
・ディジタルフロンティア
などのテーマで、コンピューター、ネットワークの進化拡大による雇用の変化について、様々な
データを使い、説明している。
その中でも、富の増加分は、8割以上が、上位5パーセントの世帯に、4割以上が、上位1パーセント
に集中しているという。
コンピューター含め、テクノロジーの進化が、あまりにも速く、社会全体が追いついていない現状がある。
結果的に、テクノロジーが雇用を破壊していることになる。
技術の進歩は、生産性を押し上げ、富の総量を増やしているとは言え、その恩恵の分配には、
負の影響を及ぼしていることを、かれらのデータは、明確に示している。
資本家と労働者の対立では、テクノロジーが生産プロセスの人的労働の相対的な位置づけ
を押し下げるとなれば、生産されたモノから得られる収入は生産財の所有者が多くを得る、という。
雇用の増加はあるものの、さらなる格差の広がりがあるといっている。
そのような点を考えながら、第4次産業革命と言われるものを見ていくことが肝要となる。

テクノロジーが社会を変えていく点では、「インターネットの次にくるもの」で書かれている点を
もう少し細かく見てみる。
期待が高まるAIについては、
「人工的な思考は、本書に描くほかのあらゆる破壊的な変革を加速させる、未来の力の
源になる。コングにファイしていくことは確実に不可避だといえる。
例えば、ここの読者や視聴者が広告にどれだけ注目したかの総量をその個人の社会的な
影響力とかけあわせ、1ドル当たりの注目度や影響力を最適化することも可能となる」。
さらには、
「人間がまるでできないことをこなすためのものだろう。
もっとも重要な思考マシンは、人間の方がより速くよりよく考えられるようなことを
扱うのではなく、人間が考えもつかないことを扱うモノだろう。
、、、
AIの到来による最大の恩恵はそれが人間性を定義することを手助けしてくれる
ことだ。
わらわれは、自分が何者であるかを知るためにAIが必要なのだ」。
「信じがたいことかもしれないが、今世紀が終わるまでに今存在する職業の
70パーセントがオートメーションに置き換えられるだろう。ロボット化は
不可避であり、労働の配置転換は時間の問題なのだ。そこでは人工的な認知、
安価なセンサー、機械学習、偏在するスマート機能が中心に躍り出る。
広範に及ぶこのオートメーションは肉体労働から知識労働まで、すべての
仕事に及ぶだろう」。

第4次産業革命とは、従来の産業革命とは大分違うのかもしれない。
その点から、2つのことを見守る必要がある。

単に社会や企業の効率アップによって多くの人が幸せになるのであろうか。
むしろ現在も広がる格差がさらに大きくなる。それはここ10数年の低所得者と
下層市民と言われるの人々の反乱とも呼べる行動が如実に語っている。

さらに、個人の行動までこの変化は及ぶのではないのだろうか。
「工業化の時代に企業は、効率と生産性を上げることで自分たちの時間を最大限活用して
いた。今日ではそれでは不十分だ。今や組織は顧客や市民の時間を節約しないといけない。
つまりリアルタイムでやり取りできるように最大限努力しなくてはならないのだ。
リアルタイムとは人間の時間だ」と彼は言っている。
それは、時間が個人の行動や心根までも制約し始め、人としての意欲や活気を殺ぐ
ことになる。

先ほどの報告書では、テクノロジー活用の点からの技術至上主義的なアプローチであり、
人の意識や行動をどうこの変化に合わせていくかが議論されていない。
単に積極的な産業構造の転換や働き方の転換を行い、人工知能やロボットによって生産性
を高め、一人ひとりの取り分(報酬)を増やしていくことが可能だとしているのだ。

報告書では「変革」を進めることで従業者数が大きく増える部門がある一方で、逆に
従業者数の減少幅が大きくなる部門を想定している。端的なのが、「製造・調達」部門
である。現状を放置すれば262万人の減少になると試算しているが、変革した
場合には減少数は297万人へと拡大するとしているのである。
つまり、人口知能やロボットによって、「製造・調達」部門の仕事をむしろ積極的に
削減し、それを他の部門に振り替えていくべきだ、としている。

放っておけば減るが、変革によって増やせる仕事として、「営業販売」などを挙げて
いる。これまで通りの営業職はどんどん不要になるが、「高度なコンサルティング機能
が競争力の源泉となる商品・サービス等の営業販売に係る仕事」は増加するとしている。
現状放置では62万人が減少するが、変革すれば114万人の仕事が増える。
また、サービス職でも「人が直接対応することが質・価値の向上につながる高付加価
値なサービスに係る仕事」は増えるとしている。ここでも6万人の減少が179万人の
増加に転換させられるとしている。

数字的にはいいことづくめのようだが、「インターネットの次、、」にもある
以下の2点は重要な視点となる。

「テクノロジー版社会主義を、自由市場的な個人主義か、あるいは中央集権的な
権威主義かとゼロサムのどちらかで考えるよりも、テクノロジーによる共有は
新しい政治のOSであり、個人と集団の両方を同時に向上させるのだと考える
こともできるはずだ。どこにも明文化されていないが誰もが直感的に理解している
シェアリングテクノロジーのゴールとは個人の自律性と集団が生み出す力を
同時に最大化することだ。つまり、デジタルによる共有は、昔ながらの常識
とはかなりかけ離れた、第3の方法だとみなすことが出来る。、、、
新しいOSに当たるものは、私有財産を認めない古典的な共産主義の中央集権的な
計画でもなければ、純粋な自由主義の自己中心的なカオスでもない。
そうではなく、分散化した人々の協調によって、純粋な共産主義や資本主義では
できない新たなクリエイションと問題解決のためのデザイン領域が出来つつある
ということだ」。

さらに
「社会は厳格な階層構造から分散化した流動性へと向かっている。手に触れられる
プロダクトから触れられないものになっていく。固定されたメディアからぐちゃぐちゃにリミックス
されたメディアになっていく。保存から流れに変わる。価値を生み出す原動力は
「答えの確かさ」から「質問の不確かさ」へと移行している。
答えを出すテクノロジーはずっと必要不可欠なままであり、すぐに得られ、信頼出来て
ほぼ無料になる。しかし、質問を生み出すことを助けるテクノロジーは、もっと
価値のあるものになる。質問を生み出すものは、われわれ人類が絶え間なく探検する
新しい領域、新しい産業、新しいブランドや新しい可能性、新しい大陸を生み出す
原動力なのだときちんと理解されるようになるだろう」。

要は、変革をどのように行うかであろう。ツールの類はそろうが、それを活かし社会
を活動的にするには、今までより以上の個人の意識化が重要となる。
格差がさらに広がらないためにも、個人がこれらのインフラと各種ツールを使いこなす
こと、それが課題だ。この避けられない社会変化の中で、われわれが生き抜いていく
ことは、漫然とした態度では済まなくなる。

さらに、山崎正和氏の以下の言葉も同時に考えるべきことであろう。
「本来、人間は単に所得によってではなく、他人の認知によって生きがいを覚える動物で
ある。嫉妬や自己蔑視の原因は、しばしば富の格差よりも何者かとして他人に認められない
ことに根差していた。これに対して、20世紀の大衆社会は万人を見知らぬ存在に
変え、具体的な相互認知を感じにくい社会を生んだ。隣人の見えにくい社会では
遠い派手な存在が目立つことになり、これが人の目を富裕層や特権階級に
引き付ける結果を招いた。
こう考えれば、今、急がれるのは社会の「視線の転換」であり、他人の注目を
受ける人間の分散であることが分かる。普通の人間が求める認知は名声ではなく、
無限大の世界での認知ではない。むしろ人は自らが価値を認め、敬愛する少数の
相手に認められてこそ幸福を覚える。必要なのはそれを可能にする場を確保
することである」。

「インターネットの次、、、」にある流れは必然的な避けられないものである。
だが、そこには人としての心根も忘れてはならない。

2016.11.04

インターネットの次へ来るもの?より考える

2000年に本格的に展開を始めたインターネット、新しい産業革命ともいわれる中で、
何もない空っぽの箱ともいわれたこともあった。
だが、今は全世界のネットユーザーは32億人以上に達し、日本でも1億人以上が使っており、
60兆を超えるページがあって増え続け、社会のインフラとして必須の存在となっている。
さらには、ネットをベースとしたAIやIOT(モノのインターネット)、ビッグデータ、
ロボットといったさまざまな次世代テクノロジーが本格化しつつある。
そのため、従来の仕事がコンピューターに置き換えられ、ネットが人間総体の能力を
上回ってしまうと主張するシンギュラリティーという言葉も真実味を帯びてきた。
デジタル時代は、それ以前の工業時代に比べて時間の経過が何倍も早くなり、物事の変化
が激しくなってきた。個人的にもそのただ中で30年以上を過ごしてきた。80年代の
世界的な通信自由化の時代を経て、光ネットワークが世界中に張り巡らされ、安価で
高速な回線が急激に整備されていった。それに並行する形でコンピューターは大容量、
高速化となり、社会全体がデジタル化へと邁進してきた。マイコンやプリント板で機器を
作りあげていたころから比べれば、隔世の感がある。
そして、進化がさらに進化をよぶ中で、その先までを見つめたのが、この「インターネットの
次に来るもの」なのであろう。

1.その概要
本書の原題はThe Inevitableで、不可避という意味だ。デジタル化したテクノロジー
が持つ本質的な力の起こす変化、それは水が川上から川下に流れるように、不可避な
流れであるといっている。この世界に普遍的な理でもある。
本では、12の傾向に分けて、それぞれの項目を順に説明していく。
「各章に1つの単語を当てはめたが、それらは単独で働く動詞ではない。
どちらかというと、互いがかなり重なり合い、相互依存しながら互いを加速
させていく。1つの単語についてはなすときに、同時にほかの単語について
話さないわけにはいかない。シェアリングが増えることでフローイングが増え、
かつそれに依存することになる。コグニファイングにはトラッキング必要になる。
スクリーニングはインタラクティングと分けられない。ここに挙げた動詞たちは
リミキシングされ、すべての動きはビカミングというプロセスの変形だ。
それはあらゆる動きの統一された場となるのだ」と言う。
動詞化する世界をまさにプロセスとして動いている姿として捉え、これらはデジタル
世界の持つ根源的な性格であり、重要なキーワードとなる。

ネット化したデジタル世界は名詞(結果)ではなく動詞(プロセス)として生成し
(第1章 BECOMING)、世界中が利用して人工知能(AI)を強化することでそれが
電気のようなサービス価値を生じ(第2章 COGNIFYING)、自由にコピーを繰り返し
流れ(第3章 FLOWING)、本などに固定されることなく流動化して画面で読まれる
ようになり(第4章 SCREENING)、すべての製品がサービス化してリアルタイムに
アクセスされ(第5章 ACCESSING)、シェアされることで所有という概念が時代
遅れになり(第6章 SHARING)、コンテンツが増え過ぎてフィルターしないと
見つからなくなり(第7章 FILTERING)、サービス化した従来の産業やコンテンツ
が自由にリミックスして新しい形となり(第8章 REMIXING)、VRのような機能
によって高いプレゼンスとインタラクションを実現して効果的に扱えるようになり
(第9章 INTERACTING)、そうしたすべてを追跡する機能がサービスを向上させ
ライフログ化を促し(第10 章 TRACKING)、問題を解決する以上に新たな良い
疑問を生み出し(第11章 QUESTIONING)、そしてついにはすべてが統合され
彼がホロス(holos)と呼ぶ次のデジタル環境(未来の〈インターネット〉)へと
進化していく(第12章 BEGINNING)という展開なのだ。

2.社会変化への示唆
各変化が重層的に互いに連携しあうような動きで社会全体変化へと向かっている。
この本でも随所にそれが見受けられるが、以下の一文も少しづつ我々が意識し
始めていることなのであろう。

「社会は厳格な階層構造から分散化した流動性へと向かっている。手に触れられる
プロダクトから触れられないものになっていく。固定されたメディアからぐちゃぐちゃ
にリミックスされたメディアになっていく。保存から流れに変わる。価値を生み出す
原動力は「答えの確かさ」から「質問の不確かさ」へと移行している。
答えを出すテクノロジーはずっと必要不可欠なままであり、すぐに得られ、信頼
出来てほぼ無料になる。しかし、質問を生み出すことを助けるテクノロジーは、もっと
価値のあるものになる。質問を生み出すものは、われわれ人類が絶え間なく探検する
新しい領域、新しい産業、新しいブランドや新しい可能性、新しい大陸を生み出す
原動力なのだときちんと理解されるようになるだろう」。

さらには、
「友人のために何かを投稿したりするのは時間の無駄だとも割れているが、われわれが
クリックするたびにホロスの知性の中にあるノードを強化する。つまりシステムを
使うことでプログラミングしているのだ。人間は毎日1000億回もウェブをクリック
しているが、それはわれわれが重要だと思ったことをホロスに教えているのだ。
言葉と言葉をリンクで結ぶたびごとにこの複雑な装置にアイデアを教えているのだ。
これは我々の人生が乗っかっている新しいプラットホームだ。
それは世界的な規模で常に動いている。このままのペースでテクノロジーの普及が進めば、
私の見積もりでは2025年までには、この惑星に住むすべての住人すべて、
つまり100パーセントがこのプラットホームにほとんど無料となった何らかのデバイス
を使ってアクセスするようになるだろう。、、、
われわれは始まっていくプロセスの中にいて、その非連続性のまさにエッジにいる。
新しい領域では、中央集権的な権威や画一性といった古い文化は縮小し、シェアし、
アクセスし、トラッキングするという新しい文化的な力が、様々な組織や個人の生活
を支配するようになる。シェアしていくことは、いまでもやりすぎだと思う人もいるが
まだ始まったばかりだ。所有からアクセスへのシフトは、まだほとんど始まってもいない。
流れていくこともストリーミングも、ぼつぼつと始まりだした程度だ。こうした機能は
今生まれたばかりの高品質のコグニファイングによって加速され、やがて現在最も
スマートに見えるモノさえ愚かに見えてしまうだろう。どれもまだ最終形ではない。
こうした移行は、なっていくプロセスの第一歩をふみだしたにすぎない。
つまり「始まっていく」のだ」。

最終章の「BEGINNING」はわれわれがこれからの社会という中で、どのように考え、行動
していかねばならないかを、示唆しているように思える。
格差の世界的な拡大が最近特に顕著にあっているといわれる。スーパー資本主義
と言われる、従来の資本主義よりさらに効率が進み、現世界での資産、体制が駆逐される、
大きな流れもこの流れの1つなのであろう。
さらには、新経済システムの1つとして言われる「シェアエコノミー」。物の共有化が
さらに進み、所有からサービスへの顧客行動、社会価値の変化もこの変化の1つでもある。

3.付加的な想い
この本を読んで次の言葉を思い出した。

自然を理解し、その中に占める人間の居場所を理解するのは、自然の目的と本質的意味
を把握することだった。だが、近代科学の誕生とともに、自然を意味のある秩序とみる
見方は影を潜めた。代わって、自然はメカニズムとして理解されるようになり、物理的法則
に支配されると見られるようになった。自然現象を目的、手段、最終結果と関連付けて
解釈するのは無智のゆえの擬人化した見方とされるようになった。
時計というのはね、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全なが
らもまねて象ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳がある
のとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその
心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。」
気にかかるフレーズだ。
この言葉をさらに突き詰めていくと、「時間系列が曖昧になった人間にとって
自己の存在はありうるのだろうか」という疑問も出てくる。

人間は自然を凌駕できるモノなのか、変化しつつある時間観念に対して己の存在は、
この本の描くこれからの社会の中で、1人の人間としての存在が問われていく、
そんな思いが強くなった。


いずれにしろ、この本でも言っているように、まだ始まりの緒についたばかりだ。

「つまりこういうことだ。いまここですぐに、2016年から始めるのがベストだと
いうことだ。歴史上、何かを発明するのに、こんな良いときはない。いままでこれほど
のチャンスや色々な始まりや、低い障壁や、リスクと利得の格差や、収益の高さや
成長が見込めるタイミングはなかった。今この瞬間に始めるべきだ。いまこそが、
未来の人々が振り返って「あのころに生きていれば」という時なのだ。
過去の30年ですばらしいスタート地点が作られ、真に優れたものを作り出す強固な
プラットフォームとなった。しかしこれから来るものは、それとは別の、それを超える
もっと違うものだ。われわれが作るものは、恒常的に、休むことなく別のものに
なっていくものだ。それに最高にカッコいいものはまだ発明されていない」。

これは、新しいビジネスへのガイドでもあり、人としてどう未来の社会を生きていくかの
心構えでもある。

2016.01.08

「ローカル志向の時代」より思う、その二

前回の記事より引き続き、、、

3.百姓への勧め
若い人の意識の変化は確かに多くなりつつあるが、まだ現状維持や保守的な行動の
若者が多いのも事実である。この本でも言っている上野さんの「ゴー・バック・トゥ・
ザ百姓ライフ」、即ち、多様な生業を組み合わせた生活への意識変化も必要なので
あろう。
ここに「元東大教授 上野千鶴子さんと社会学者 古市憲寿さん」の対談の記事
があり、彼らの指摘もまた事実であることも考える必要がある。

「古市」ただ、無頼は「頼らない」とも読める。無頼を「何かに頼らないこと」とする
と、最近、そういう生き方への憧れは若者を含めすごく広がっている気はします。既存
の企業などに頼らず、もっと自由に生きてもいいのでは、と。ここ10年ぐらい、会社
に勤めず、独力でスキルアップするような働き方はある種のブームです。
「上野」ただ、無頼というのは、いわば無保険・無保障人生。簡単に勧められない。
「古市」たしかに、専門的な能力がなければ「無頼」はうまくいかないと思います。
そして一つの組織に属していれば安定という時代でもない。僕自身も友人と会社を経営
しながら、趣味のように大学院に通っています。
ただ、企業にしがみついて生きようという人も依然多い。
「上野」安全と安心が希少になってきたから、よけいに何かにしがみつきたいの
でしょう。「就活」や「婚活」に必死になるのが、その表れでしょうね。
「古市」たしかに、新入社員のアンケートでも、定年まで同じ会社にいたいという人
が最近増えていますし、専業主婦志向も強まっていますね。
「上野」一方で、労働市場で最も割を食った非正規労働の中高年既婚女性たちは、
1990年代後半からどんどん起業しています。背景には、NPO法ができて任意団体
が作りやすくなったこと、介護保険法で助け合いボランティアがビジネスになった
ことがある。起業は若者だけの動きじゃない。
「古市」労働市場で一人前として働けないから、自分たちで、ということですね。
起業といえばITにばかり注目が集まるけど、裏側にはこうした女性たちがいる
のですね。
「上野」資本力のない女と若者は労働集約型か知識集約型の産業で起業するしかない。
この20年、グローバル競争に勝ち抜くという口実で政官財や労働界が労働の規制緩和
にゴーサインを出しました。その結果、格差社会でワーキングプアが男性にも大量に生
まれた。日本では移民の代わりに女性と若者が使い捨ての低賃金労働力になってきた。
フリーターが「不利だー」になったのね。起業は労働市場で相対的に不利な人たちの
選択肢。
「古市」自由になる代わりに、格差がどんどん広がっていく気がします。そこでは無頼
が、政策決定者側にとっても都合のいいキーワードになっている。今後、みんなが何も
のにも頼れない「無頼」にならざるを得ないのでしょうか。
「上野」もちろん全人生を会社に預けるような働き方をする人たちも、一部に残る
でしょう。でも、会社ごと心中することになるかもね。
「古市」自由に生きるためには、どこかでベースみたいなものがないと難しいというこ
とですね。
「上野」脱サラした人たちを見てきたけど、イヤな仕事を断れなくなったり仕事の質を
保つのが難しい。だから、「フリーになりたい」という転職相談には反対してきた。
「会社は無能なあなたを守ってくれる。荒野で一生戦うエネルギーと能力があるか」
って。
「古市」フリーとは定義上「自由」であるはずなのに、不安定だからこそ何かに従わな
きゃいけない。一方で、今の日本では、特に男性サラリーマンは全人生を会社にささげ
ることが求められ、働き方が自由に選べない。それがジレンマですね。
「上野」昔の日本は違った。土地の気候風土に合わせて稲作、裏作、機織り、季節労働
と多様な活動を組み合わせて生計を立てるのが「百姓(ひゃくせい)」だと言ったのは
中世史家の網野善彦さん。百姓は「種々の姓」のことだから。だからゴー・バック・
トゥ・ザ百姓ライフ、よ。

確かに、若者を中心に社会への参加意識の変化は、特に東北の震災以降大きく変わり
つつあるようだが、この対談にもあるようにさらに保守的な意識と行動も増えている
ようだ。この2人の言葉もかみしめておく必要はある。

4.Iターン事例から
この本にも紹介のある事例についてもう少し詳細に書くと、

1)海士町(あまちょう)
島根県から、フェリーで約2時間半。お世辞にもアクセスがいいとはいえない隠岐島諸
島の一つ、海士町は1島1町の島だ。その便の悪さにも関わらず、ここ11年間で人口約
2,400人(2014年10月現在)の2割に当たるIターン者数を誇るという素晴らしいい島。
各種メディアでもよく取り上げられている。
海士町での背景
高齢化、人口減少等、何かと問題先進県と言われる島根県の離島にあって、この島の
青年団は、平成のはじめくらいから「お前らどうするんだ」と島の年配者から
プレッシャーをかけられていた。そこに山内町長の登場。財政的な危機を自らの給与
を50%カットして乗り切る姿勢、そして「私が責任を取るから、なんでもやって
みなさい」と、どんなチャレンジもサポートする意気込みが役場の職員にも伝わり、
何でもやってみようという機運が高まった。
だが、海士町が単に行政主導だけでここまで来たのではない。行政と民間の立場、
みんな一丸となって地域をよくしていく。その中で、行政ができることはベストを
尽くしてサポートする。そのような流れで今の結果を出している。
幾つかの事例を示すと、

①ものづくりへの対応
海士町では、ある一つの「商品」というよりは「ブランド」ひいては「産業」を生み
出してきた。しかし、多くの自治体が6次産業化に取り組んでいる中、なぜ海士町は
うまくいっているのか?そのポイントは「全部自分たちでやること」らしい。
農協や漁協を通すと、コストがかかる。それを自分たちでやってしまえば、その分雇用
も生まれる、とポジティブに考える。春香も隠岐牛も多くのサンプルを自分たちで
研究開発、市場調査などすべて島の人たちでやった。

②ひとづくり
ものづくりが一定の成果を出し始めた頃、次に取り組むべき課題が「ひとづくり」だっ
た。人口流出が激しい海士町では、高校が廃校の危機にあった。廃校になれば、高校生
になったら島外に出なければならず、人口の更なる流出が起こる他、家計負担も大きく
なる。そこで、島外から高校生を受け入れる「島留学」を開始。この島は半農半漁で、
綺麗な水もあるため、ほぼ自給自足生活できる。つまり、小さな社会がそこにある。そ
れを活かして、島を丸ごとキャンパスにして、地域総あげで教育を行うことで特色を出
して行った。
③学習センターの設置
島では質の高い教育が受けられない、というのが常識となっていた。それをカバーする
取り組みとして学習センターが設置された。小学校から高校生まで一貫して、学習支援
をする、いわば公設の塾のようなもの。しかし、ただの学習塾ではない。町のヘッド
ハントにより移住してきた豊田さんと藤岡さんという、その道のプロ達が指導にあたり
高校と連携してカリキュラムを工夫する他、「夢ゼミ」という、キャリアデザイン、
生き方のコーチングまである。

移住者を惹き付ける一番の魅力は、
海士町の移住者が多いのは、見ず知らずの人が突然アポを入れても時間を割いてくれ、
真剣に夢を語ってくれる。「私でもなにかできそう」と、自分も既に島の一員である
かもしれないという錯覚に陥る。
対応は、365日24時間。漁業に興味がある、という移住希望者がいれば、朝5時からの
漁に連れて行ったりすることもあるという。そうやって、外の人と内の人の間に入って
あげることで、島へ入って来るハードルを低くする。ここまでが役所の仕事という境目
はない。制度より、システムより、補助金より、これらの地道で人間味あふれる
サポートが、移住者に「受け入れてもらえた」と感じさせ、彼らを惹き付ける要因の
一つである。

2)徳島県神山町の場合
徳島市内から車で約40分、人口約6000人の徳島県神山町。今この町に、IT系の
ベンチャー企業やクリエイター達が続々と集結している。過疎化が進む神山町が取り
組んだのは、観光資源などの「モノ」に頼って観光客を一時的に呼び込むこと
ではなく、「人」を核にした持続可能な地域づくりである。具体的な取り組み内容
と実際の成果について“「人」をコンテンツとしたクリエイティブな田舎づくり”を
ビジョンに掲げるNPO法人グリーンバレーが中心となって動いている。

2004年12月に設立されたグリーンバレーは、1992年3月設立の神山町国際交流協会を
前身とするNPO法人だ。「人」をコンテンツとしたクリエイティブな田舎づくりや
後述する「創造的過疎」による持続可能な地域づくりなどをビジョンに掲げた活動を
展開している。
グリーンバレーはこれまで環境と芸術という2つの柱を建て、徳島県に自らビジョン
を提案し、プロジェクトを進めてきた。

まず環境面については、米国生まれのアドプト・プログラムという仕組みを日本で初
めて採用して道路を作った。アドプト・プログラムは、住民団体や企業が、道路や河川
といった公共施設の一区間を引き受けて、行政に代わってお世話をするものだ。そして
芸術面では、国際芸術家村を神山町に作ることにした。
1999年10月から神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)というプログラムを実施
し、神山町に芸術家を招聘し、その制作の支援を住民がやっていこうという活動が
町に大きな変化を起こしていった。

神山町のプログラムは資金が潤沢ではないので、有名なアーティストに来てもらえ
ない、住民が始めたプログラムなので専門家がいない、などの課題があった。
そこで神山町では発想を転換した。“アートを高められなくても、アーティストを高
めることはできるのではないか”。つまり観光客をターゲットにするのではなく、制作
に訪れる芸術家自身をターゲットにしようと考えた。
「欧米のアーティストから『日本に制作に行くのなら神山町だ』と言われるような場所
作りを目指した。そのために、やってきたアーティストたちの滞在時の満足度を上げ、
神山町の“場の価値”を高めることに注力する取り組みを1999年から7~8年間続けた。

そこでグリーンバレーは、2007年10月に神山町から移住交流支援センターの運営を
受託、2008年6月には総務省からの資金援助を得て「イン神山」というWebサイトを
立ち上げ、神山町からの情報発信を開始した。
“神山で暮らす”というコンテンツがウケた
サイトでは当然、アート関連の記事を作り込んでいったが、公開後に意外なことが起
こった。「一番読まれているのはアート関連の記事ではなく、“神山で暮らす”という
コンテンツだった。いわば古民家が2万円で借りられるというような賃貸物件情報で、
他コンテンツの5~10倍のアクセス数があり、ここから神山町への移住需要が顕在化
してきた。
グリーンバレーには、アーティストたちを神山町に呼び込むための活動を通して、
移住希望者と物件オーナーとのマッチングや空き家自体の発掘などのノウハウが
貯まってきていた。実際にサイト公開後の2010年から2012年までの3年間で、神山町
移住交流支援センターでは37世帯71名(うち子供17名)の移住を支援した。

町に必要な人材をピンポイントで逆指名する「ワークインレジデンス」
移住者の大きな特性は、平均年齢が30歳前後だということ。そうした若い世代に
ついては「神山町が必要とする人たちを選んでいる」という。
神山町移住交流支援センターでは過疎化、少子高齢化、産業の衰退という課題解決の
ために移住支援を行っているが、こうした課題に対する答えを持ってる人、例えば
子供を持つ夫婦や起業家の人などを優先的にお世話をする。
これが「ワークインレジデンス」という取り組みだ。町の将来に必要だと思われる職業
を持つ働き手や起業家を、空き家を一つのツールにして、ピンポイントで逆指名する。

地域再生で一番大切なことは、「そこにどんな人が集まるか、集められるか」。
それを実践しているのが、神山町のようだ。

5.その他
この本は、ローカル志向という点で、新しい自営業、地域経営、地場の産業など
かなり幅広いテーマでまとめられている。
以下にその章立てを示すが、個人的に今興味があるのが、若者を中心の意識変化と
それに対する地域経営をテーマにしたもであり、そこからのキーフレーズについて、
今回は書いているので、少し記事内容は限定的である。他のテーマなどに興味ある
方は、関係ある章を読んでもらうことをお勧めする。

第1章  場所のフラット化
1-1    古くて新しい商店街
1-2    消費社会の変容と働き方の変化
第2章  「新たな自営」とローカル性の深まり
2-1    古くて新しい自営業
2-2    自営の人びとが集う場
2-3    経済性と互酬性のはざまで
第3章  進化する都市のものづくり
3-1    中小企業の連携の深まり
3-2    新たな協業のかたち
第4章  変わる地場産業とまちづくり
4-1    デザイン力を高める地場産業
4-2    ものづくりとまちづくり
4-3    外部者からみえる地域像
第5章  センスが問われる地域経営
5-1    小さなまちの地域産業政策
5-2    「価値創造」の場としての地域
5-3    「共感」を価値化する社会的投資
終 章  失われた20年と個人主義の時代

特に気になった文について少し紹介する。
・「これまでも、地域の自然、風土、文化はまちづくりの思想の根底に据えられて
きました。他方、地域経済を支える産業は風景や景観、風土や文化とのかかわりから
論じられることは少なく、むしろ自然や文化に対置してとらえられてきたふしが
あります。」

ローカル志向という流れの中では、地域の経済といえどもその風景、風土、文化、
さらに景観も考えた総合的なアプローチが重要となって来るのでは、と思う。

・「地域に産業があることにより、多様な人々がひきつけられ、多様な人々が
まじり合うことによって、町の姿が演出されます。そして豊かな生活空間を創出して
いくことにもつながっていきます。円熟した景観や風景がそれを物語ることになる
でしょう。
しかし、それは単に内なる視点だけでは構築されず、外部者からの意味づけがあって
意味を持つわけです。生活者の視点だけでなく、旅行者的な外部の視点で地域を捉える
ことは、観光まちづくりを進めるうえでも重要になってくるのではないでしょうか。」

この指摘は今個人的にも企画している事業にも当てはまることであり、この本にも
紹介のある中川理氏の考えも大いに参考となる。

2016.01.01

「ローカル志向の時代」より思う、その一

最近、「ローカル志向の時代(松永桂子著)の本を目にし、一読した。
社会は変わりつつある、価値も変わる、人とのゆるやかなつながりや安心感など、
貨幣的価値に還元できないものが重要となり、これまでとは異なるライフスタイル、
価値観、仕事、帰属意識が生み出されつつある。都市と農村のフラット化、新たな
スタイルの自営業、進化する都市のものづくり、地場産業、地域経営、などの視点
から現在の「ローカル志向」を解き明かすために、地域をベースにして、消費、
産業から個人と社会の方向性について考えた本である。

とくに、地域経営の在り方についてものづくり、まちづくりは人とその基盤となる
風土、文化、更には景色が大きくかかわっている、という。
さらに言えば、30年ほど前に充分に理解したとは言えないが、この本の最後に
紹介のある山崎正和氏の「柔らかい個人主義の時代の誕生」を読んだ時の感触が
いま眼前により具体的な形として広がっている、そんな思いにかられた。

1.若者の働き方の変化
地域への関わりの世代の広がりは私自身のNPOや地域活性化支援への関わりからも、
とくにここ4、5年変わってきている事を感じる。例えば、滋賀県では十数年前から
地域の課題を解決したり、解決しようとする人たちの支援をするなどのために地域
プロデューサを毎年育成して来たが、以前は60代の定年後の次の何かをしたい人
がほとんどであったが、4、5年前からは20代から40代の現役メンバーが多く
なってきた。彼らの志向は自分たちの住む地域をもっと理解し、何かをやりたい、
という意識が極めて強い。
また、身近なところでも、Iターン、Uターンの若い人が増えている。

最近の若者の意識については、この本にもあるが、電通が2015年8月にした調査が
面白い。その調査では、
電通総研、「若者×働く」調査を実施
「電通若者研究部(ワカモン)との共同で「若者×働く」調査を実施しました。
この調査は、週に3日以上働いている18~29歳の男女3,000名を対象とし、30~49歳の
男女2,400名のデータと比較することで、若者の現在の働き方、働く目的、働くことに
対する意識などを明らかにしました。
本調査の主な結果は以下のとおりです。
1. 若者の約3割が非正規雇用。女性では約4割。
2. 働く上での不満は、給料などの待遇面、有給休暇の取りづらさ、仕事の内容など。
3. 働く目的はまず先に生活の安定。働くのなら「生きがい」も得たい。
4. 現在の働き方は堅実に、理想は柔軟な働き方をしてみたい。
5. 約4割が働くのは当たり前だと思っているが、約3割はできれば働きたくない
と思っている。安定した会社で働きたいが、1つの会社でずっと働いていたいという
意識は低い。
6.「社会のために働く」と聞いてイメージする「社会」は「日本」と「身近な
コミュニティー」。
7. 若者は「企業戦士」「モーレツ社員」という言葉を知らない。
特に、5から7項の結果は我々世代と大分違う様でもある。

その中でも、
約4割が働くのは当たり前だと思っているが、約3割はできれば働きたくないと
思っている。安定した会社で働きたいが、1つの会社でずっと働いていたいという
意識は低い。働くことへの意識については、18~29歳の約4割が「働くのは当たり
前だと思う」(39.1%)
一方で、「できれば働きたくない」(28.7%)が約3割に上ることが分かった。
仕事に対する価値観でも「仕事はお金のためと割り切りたい」(40.4%)など、
消極的なマインドがある中で、「自分の働き方はできる限り自分で決めたい」
(28.4%)という意識がある。会社や仕事の選び方は「できるだけ安定した会社
で働きたい」(37.1%)という意識が強いが、「1つの企業でずっと働いていたい
と思う」という意識は17.3%。周囲や社会とのかかわり方では、
「できるだけ価値観が共有できる仲間とだけ仕事がしたい」(32.9%)、
「社会に貢献できる仕事・会社を選びたい」(23.2%)となっている。
「できるだけ安定した会社で働きたい」という項目は、女性18~29歳で44.3%と高い。

「社会のために働く」と聞いてイメージする「社会」は「日本」と「身近な
コミュニティー」「社会」という言葉がイメージするものとして、18~29歳では
「日本社会」(41.9%)、「会社や所属している集団」(39.2%)、「住んでいたり、
関わりのある地域」(34.8%)、「友だちや家族」(34.1%)が上位に挙がった。
社会=日本というイメージと同時に、友だちや家族といった身近な「社会」も
想起されていることが分かる。女性18~29歳は「会社や所属している集団」
(42.6%)が最も高く、身近なコミュニティーを社会としてイメージしている。
「企業戦士」の認知率は、40~49歳が53.6%であるのに対し18~29歳は31.2%。また
「モーレツ社員」は、40~49歳が54.4%であるのに対し18~29歳は21.7%と、年代により
大きな差が見られた。
これらの言葉は、高度成長期に仕事に熱中する、企業のために粉骨砕身で働く
サラリーマンの像を表した言葉であり、世代ギャップがあることが分かる。」

時代の変化と意識の変化を感じる調査結果でもある。

また、後述でも伝えるが、Iターンで成功している地域の人の言葉を幾つか、
・「人生は一度きり。価値あることに時間を使いたいですし、一緒に働く仲間にも
価値ある時間を過ごしてほしい」。
・「一番読まれているのはアート関連の記事ではなく、“神山で暮らす”という
コンテンツでした。いわば古民家が2万円で借りられるというような賃貸物件情報で、
他コンテンツの5~10倍のアクセス数があり、ここから神山町への移住需要が顕在化
してきたのです」。
・町のサイトには「移住者は自分がやりたいことを実現するために、目的を
持ってやってきていた」とある。

2.「柔らかな個人主義の誕生」より
この本は、1984年に刊行され、60年代と70年代についての分析が中心であるが、著者
の「消費」の定義の仕方など、現在でも十分に通用する内容ではあるが、個人的には
組織の中で一途に仕事に打ち込んでいた自分にとってのこれからの社会への個人の
関わりの変化を感じさせる内容であった。池田内閣の所得倍増計画の下で高度経済成長
を目指していた60年代の日本社会が、その目的を遂げた後、どのように変化していった
のか。70年代に突入して増加し始めた余暇の時間が、それまで集団の中における一定の
役割によって分断されていた個人の時間を再統一する道を開いた。
つまり、学生時代は勉学を、就職してからは勤労を、という決められた役割分担の時間
が減少したことにより、余暇を通じて本来の自分自身の生活を取り戻す可能性が
開けたということである。

こうした余暇の増加、購買の欲望の増加とモノの消耗の非効率化の結果、個人は大衆
の動向を気にかけるようになる。以前は明確な目的を持って行動できた
(と思っていたが)人間は、70年代において行動の拠り所を失う不安を感じ始める。
こうして、人は、自分の行動において他人からの評価に沿うための一定のしなやかさを
持ち、しかも自分が他人とは違った存在だと主張するための有機的な一貫性を持つこと
が必要とされる。それを「柔らかい個人主義の誕生」と考える。
今読み返しても、その言葉をなぞっても、決してその古さを失っていない。
まずは、
・けだし、個人とは、けっして荒野に孤独を守る存在でもなく、強く自己の同一性に固
執するものでもなくて、むしろ、多様な他人に触れながら、多様化していく自己を統一
する能力だといへよう。

・皮肉なことに、日本は60年代に最大限国力を拡大し、まさにそのことゆえに、70年代
にはいると国家として華麗に動く余地を失ふことになった。そして、そのことの最大の
意味は、国家が国民にとって面白い存在ではなくなり、日々の生活に刺激をあたへ、個
人の人生を励ましてくれる劇的な存在ではなくなった、といふことであった。

・いはば、前産業化時代の社会において、大多数の人間が「誰でもない人(ノーボディ
ー)」であったとすれば、産業化時代の民主社会においては、それがひとしなみに尊重
され、しかし、ひとしなみにしか扱はれない「誰でもよい人(エニボディー)」に変っ
た、といへるだらう。(中略)これにたいして、いまや多くの人々が自分を「誰かであ
る人(サムボディー)」として主張し、それがまた現実に応へられる場所を備へた社会
がうまれつつある、といへる。

・確実なことは、、、ひとびとは「誰かである人」として生きるために、広い社会の
もっと多元的な場所を求め始める、といふことであらう。それは、しばしば文化サーヴ
ィスが商品として売買される場所でもあらうし、また、個人が相互にサーヴィスを提供
しあふ、一種のサロンやヴォランティア活動の集団でもあるだらう。当然ながら、多数
の人間がなま身のサーヴィスを求めるとすれば、その提供者もまた多数が必要とされる
ことになるのであって、結局、今後の社会にはさまざまなかたちの相互サーヴィス、あ
るいは、サーヴィスの交換のシステムが開発されねばなるまい。

・もし、このやうな場所が人生のなかでより重い意味を持ち、現実にひとびとがそれに
より深くかかはることになるとすれば、期待されることは、一般に人間関係における表
現といふものの価値が見なほされる、といふことである。すなはち、人間の自己とは与
へられた実体的な存在ではなく、それが積極的に繊細に表現されたときに初めて存在す
る、といふ考へ方が社会の常識となるにほかならない。そしてまた、さういふ常識に立
って、多くのひとびとが表現のための訓練を身につければ、それはおそらく、従来の家
庭や職場への帰属関係をも変化させることであらう。

・ここれで、われわれが予兆を見つつある変化は、ひと言でいへば、より柔らかで、小
規模な単位からなる組織の台頭であり、いひかへれば、抽象的な組織のシステムよりも
、個人の顔の見える人間関係が重視される社会の到来である。そして、将来、より多く
の人々がこの柔らかな集団に帰属し、具体的な隣人の顔を見ながら生き始めた時、われ
われは初めて、産業か時代の社会とは歴然と違ふ社会に住むことにならう。

この30数年前に語られた言葉がインターネットの深化に伴い、現在起きていることで
あり、それに対する個人の生きる指標でもあるようだ。

2015.12.18

情報化社会における個人のあり方

インターネットの拡大により個人、団体、企業との関わりは大きく変わってきた。
特に消費社会での様々な評価サイトや個人レベルでの評価の重み、など日本でも
10年ほど前から顕著になっている。facebookや幾つかのコミュニティサイトが
社会の基盤のかなりの部分を占め、個人と企業とのつながりもインターネット上での
膨大なデータから更に強まっている。2005年ぐらいから拡大始めた「人を中心
とするインターネット」は人がインターネット上で様々な活動を行う事が主であった。
人の表現力やコミュニケーション力を充実させる事は一定の収束に向い、今は
「データ」と「モノ」がソーシャルネットの上でつながり、IoTと呼ばれるが、
現在の人が中心のネットと合わせて混在し、よりつながりの深まった世界と
なっている。

そのような複雑高度につながった状況でも、重要な動きの1つがマッシブと言う概念
と言われている。膨大な数の人々が同時にリアルでコミュニケーションし、そのために
最適なインターフェイスを提供する事がよりネット世界での満足度をあげるポイント
となっていく。マッシブは、「膨大な数の個体が凝縮した群体」であり、従来の
均一的なマスとは大きく異なり、個体と群体の間にも様々なつながりが出来る。
それは、スマホの拡大普及によって従来の交換体形とは異なる経済の体形が可能
となるとともに、個人の行動変化も 受け身ではなく、能動的、多面的に情報を
集めて理解し、行動することが必要となるはずである。

・少し前の日経BPのレポートでもIT技術を上手く活用すれば、違う広がりもある
はずとの指摘をしている。
1)人のつながりの拡大
働き方の改革に関して日本で主に議論されるのは人の流動化だが、1人が一組織に
長期間所属する「正社員」があるべき姿で、その機会を全員に与えようとすると
なかなか解を見出せない。長期間雇用されるかわりに様々な仕事をする正社員と
パートタイマーやアルバイト以外にも、色々な働き方がある。企業に所属するが、
仕事の内容、労働時間、勤務場所などについて取り決めてから働くやり方もあれば、
専門能力や人脈を活かした「1人企業」(個人事業主)として働く道もある。
1人が一組織だけではなく、複数の企業やチームあるいはNPO(非営利組織)
に参加して仕事をする「双職」もある。
個人と仕事のつながりは今後増えていくと予想される。

日本の「個人と仕事のつながりの総数」を推定したところ、現在の「7181万」
が5年後にほぼ2倍、「1億2700万」に増える結果になった。日本の就業者数
6246万人を上回っているのは、すでに複数の働く場を持っている人がいるためだ。
つながりの総数は次のように算出した。調査回答者に「今、働く場をいくつか
持っているか「5年の間に、いくつにしたいか」を聞き、各世代ごとに働く場の
数の平均値を求めた。各平均値を世代別の人口に乗じて、世代別のつながり数とし、
これらの合計を総数とした。
つながりの増加は日本経済を活性化する。企業や組織は新たにつながる人の知見を
活用し、組織間の壁を越えて新しい取り組み(イノベーション)を始められる。
さらに組織につながっていなかった女性やベテラン(高齢者)は働きたい時に
その力を発揮できるようになる。

2)ICT活用手段としてのクラウド利用が増える?
個人と仕事のつながりが増えるにあたっては、情報通信技術(ICT)が貢献する。
モバイル機器さえあれば、インターネットにつなぐだけで仕事に役立つサービスを
利用できる環境がすでに整っている。
チームで取り組んでいる仕事の進捗や成果物の状況をメンバー同士が把握できる
ようにするサービスや、販売管理や顧客管理といった業務処理サービスを提供する
クラウドが用意されている。
仕事を支えるクラウドの認知や利用率はまだ低いが、使いたいという意欲はあり、
クラウド利用はこれからが本番と言える。
クラウドの利点は事前に用意されたサービスをすぐ使えること。必要なサービスがなけ
れば自分で開発し、それを新たなクラウドにして他者に提供し、職場を増やす「贈職」
もできる。
サービスを実現しているのはアプリケーション・ソフト(アプリ)である。「クラウド
を使ってアプリを開発してみたいと思うか」という質問に対し、「すでに試みている」
(1・1%)、「ぜひやってみたい」(6・5%)、「どちらかというとやって
みたい」(26%)という回答があり、合計すると3分の1が前向きであった。

・この進歩の加速度的な速さに圧倒されるだけでは、何も解決にならない。自身の立ち
位置を再度キチンと見ることも要請されている。情報化、インターネットの拡大は余り
自分に関係ないと思っている方もまだまだ少なくない。
しかし、エリック・ブリニョルフソン氏共著の「機械との競争」はそうではないことを
示している。米国のデータとそこからの視点ではあるが、日本でもすでに起きている
ことと思って欲しい。

「機械との競争」より
「なぜ米国ではそんなにたくさんの人が職を失っているのか。そしてなぜ所得
の中間値が1997年よりも低くなったのか」という問いから始まった。
イノベーションが進み生産性が向上したのに、なぜ賃金は低く、雇用は
少なくなったのか?
「デジタル技術の加速」のためである。それは生産性の向上をもたらしたが、
ついていけない人々を振り落としてしまった。ある人たちは多くのものを得て、
別の人たちは少ないものしか得られずに終わる。それが過去15年に起きたこと。
国全体の富は増えたが、多くの人にとって分け前は減った。残りは上位1%が
取っていったから。
考えなくてはならないのは、技術は常に雇用を破壊するということ。
そして常に雇用を創出する。問題はそのバランスであるが、その後、技術
による雇用破壊は雇用創出より速く進んだ。それがこの10年の現象という。
かつては生産性の伸びと同じように雇用も伸びてきたが、97年頃から
雇用が置いていかれるようになった。

その主因は、「デジタル技術の加速」にある。
デジタル技術には3つの側面がある。
①指数関数的に発展するということ。人類の歴史に登場したどんな技術よりも
速く進化します。蒸気機関よりも電気よりも速い。ご存じの「ムーアの法則」
では、コンピューターの性能は18カ月で2倍になります。それは指数関数的な
スピード。人々はそれに追いついていけなくなっている。
②デジタル技術は以前の技術よりも、より多くの人に影響を与えるということ。
今日、コンピューターの発展は、ほとんどの働き手に影響を与える。米国では
全労働者の業務のうち約65%が(コンピューターを使った)情報処理に関わるもの。
事務職、マネジャー、あるいは学校の先生、ジャーナリストやライターなど、
幅広い仕事がそれに含まれる。過去よりも多くの人が影響を受ける。
③ひとたび何かが発明されると、ほとんどコストなしでコピーができる。
そしてそのコピーを即座に世界のどこへでも送り、何百万人という人が同じもの
を手にすることができる。高いお金をかけて工場を建設しなければならない製造業
などとは全然違う。過去200年とは全く異なる影響を雇用にもたらす。

雇用は中国に移ったのではない。ロボットに移った
製造業は米国では縮小してきました。それはまた別の重要な論点を生む。製造業
における米国の雇用縮小の背景として、生産拠点の海外移転や中国の台頭が
挙げられてきた。
しかし、調査の結果、分かったのは、中国では製造業で働く人が97年に比べ
2000万人以上少なくなっているということ。雇用が米国から中国に移った
のではない。米国と中国からロボットに雇用が移ったというのが正しい。
「デジタル革命」や「機械との競争」は、生産の海外移転よりももっと重要
な論点のはず。
テクノロジーと経済は非常に速く変化している。もし我々が何もしなければ、
危機に陥り、多くの人が仕事を失うことになる。しかし、うまく対応できたら、
つまり技術の利点を取り入れることができたら、すべての人にとってチャンス
を生み出せる。
日本の雇用状況や経済状況を見る上においても、示唆のあるデータや
コメントがある。

・これからは今まで以上に個人の意識アップが求められる。
先ずは、自身の受身的な対応から一歩先に進むこと、情報の意図を読み説き、疑問を
持つ能力が必要となってくる。
情報には、環境管理型権力という人を無意識のうちに動かしていく力がある。
身近な例で言うと、人の動かし方のことであり、一方的に命令するのではなく、
なんとなく誘導していき、本人は楽しく生きているつもりでも、実はある目的を持った
力によって巧妙に操作・支配されている社会のこと。すなわち、社会を生きる人間に
どれほどの主体性、自分でものごとを決定する力があるのだろうか、ということを
考えるきっかけであり、情報技術はこのような力がとても強いということを深く考える
ことでもある。インターネットに接続して何かをしている時には、常に何らかの
意図的な力を受けていると考えてもいい。何気なく電車やヒマな時間に眺めている
SNSのタイムラインやニュースメディアのヘッドラインにどのような種類の情報
が流れてくるのかは目に見えないアルゴリズムが決めているし、画面内での情報
提示の仕方などのユーザー体験のデザインによっても、次にどのような情報を見よう
とするかということに働きかけることができる。
さらに、今後はIOT技術などによって、現実空間もアルゴリズムと常時接続して
いき、日常生活全てが問題そのものになっていく。
発信者の情報を表面的に肯定したり否定するばかりではなく、その背景の意図をきちん
と読みとる能力、疑問を持つ能力、批評精神が弱まれば、単純な考え方や応答の仕方
しかできなくなってしまう。個人的には疑問を持つこと、新しい問いを生むことが
このような事態に対して対応できることになる。
スマホのアプリやサービスを電話のような使い方をしているのをよく見かけるが、
そこには人間としての主体的な行動が余りかんじられない。単に来た情報を消費して
いるだけであり、受身の行動が目立つ。

「クラウド化する世界」で著者のニコラス・カー氏は、「インターネットは、情報収集
からコミュ二ティ作りに至るまで、あらゆることを簡単な処理に変えて、大抵の事は、
リンクをクリックするだけで表明出来る様になった。そうした処理は、1個1個は
単純でも、全体としては、極めて複雑だ。我々は、1日に何百何千回というクリックを
意図的に、あるいは衝動的に行っているが、そのクリックの度に自分自身の
アイデンティティや影響力を形成し、コミュ二ティを構築しているのだ。
我々がオンラインでより多くの時間を過ごし、より多くのことを実行するにつれて、
そのクリックの複合が、経済、文化、及び社会を形作ることになるだろう。」
と述べている。
ぜひ、彼の言う「自分自身のアイデンティティや影響力を形成し、コミュ二ティを
構築しているのだ。」になって欲しいものだ。

2015.11.27

昨今の不安な世情、「文明の衝突」他から思う

昨今のイスラム原理主義を中心としたテロの頻繁な発生や中国の海洋進出に
伴う周辺国との小競り合い、EU内での分裂的な動き、などを垣間見ていると
ふと、久しぶりに「文明の衝突」を手にしたくなった。

この本は、サミュエル・P・ハンチントンが1993年に出した。
ハンチントンは、トインビーを参照しながら文明を以下のように分け、その間に
起こる争いが世界の今後を決定していくと言う。
すなわち、冷戦の終結に伴い、従来のイデオロギーの争いや経済上の争いに
代わり、文明の対立が主要な要因になっていく。
今後の世界は、西洋文明(ヨーロッパ文明と北米文明という二つ
の下位文明によって形成されているとされる)、儒教文明(中華文明)、
日本文明、イスラム文明、ヒンズー文明、スラブ文明、ラテンアメリカ文明
という7つ、あるいは,それにアフリカ文明を加えて8つの主要な文明の関係
によって規定されてゆく。
各国は、次第に、文明ごとの地域経済ブロックを形成してゆく。
① 西洋文明(アメリカ+西欧+オーストラリア)
② イスラム文明(中東+北アフリカ)
③ 中華文明
④ 日本文明
⑤ インド文明
⑥ ラテンアメリカ文明(西洋文明と近い)
⑦スラブ文明
⑧ アフリカ文明

そして、冷戦後世界にとって脅威となるのは、人口を急激に増加させながら、過激な
イスラーム原理主義を信奉するイスラーム文明と、経済成長著しい中国中華文明で
あり、アメリカはこの二つの文明に対抗するために、分裂傾向のアメリカとヨーロッパ
関係を一層強化し、日本文明などと結ぶ必要があると考えた。
そして、今後の戦争は文明の断層(フォルトライン)で起きるだろうとし、たとえ
文明間の小競り合いであっても中級国、大国が文明の観点から参戦することを余儀
なくされ、アメリカと中国の争いまでも言及している。

今後の世界は、「西洋対非西洋」、西洋の力と価値観に対する非西洋の反応を軸とし
て展開し、紛争の中核は、西洋対イスラム、儒教諸国との間で起こるという。
90年代は、西洋文明がその強さを謳歌していた時代であり、西洋の軍事力は比類
なき力を備え、経済面でも西洋諸国に挑戦できる国家は存しないと思われていた。
発表当初は様々な議論を生み、かなりの批判されているにもかかわらず、最近の
ハンチントンの提起が、本来の戦略論の意図を超え、参照され続けているのは、
冷戦後の世界においての「文明の衝突」というパラダイムの変更の提起がある種の
現実性を帯びてきているからであろう。それが、冒頭の最近の動きであり、特に
象徴するのがイスラム過激派による「西洋文明」への挑戦と中国の世界覇権
への動きであろう。

ハンチントンは、短期的に欧米諸国は、ヨーロッパと北米間の協調と統合を促進し、
西洋文明に近いところに位置する東ヨーロッパやラテンアメリカを西洋社会に
組み込んでいくべきと言う。さらに、ロシアや日本との協調関係を維持し、儒教、
イスラム国家の軍備拡大を抑制し、西洋の軍事力削減のペースを緩慢なものとする
ことが必要と言う。長期的には、非西洋文明諸国は近代化を実現したいと考えて
いるが、経済、軍事力が西洋的なものであり、その近代化を進めれば進めるほど
彼らに対する西洋の影響は増大してゆくこととなり、西洋諸国は非西洋諸国との
融合を心がけていかなければならず、西洋諸国は、他の文明に対して自らの利益を
確保するのに必要とされる経済、軍事力を今後も維持してゆく必要がある。

さらには、西洋文明はその絶頂期にあるが、そうであるがゆえに非西洋諸国に
おいては、自らの文明への回帰運動が起きている。西洋文明は、自らを
「どのような人間にもあてはまる普遍的な文明である」と考えたがるが、
普遍的な文明という考え方そのものが西洋的な思考であり、実際には、個人主義、
自由主義、立憲主義、人権、平等、自由、法の支配、民主主義、政教の分離と
いった西洋の概念が他の文明圏で広く受け入れられているわけではない。
西洋がこうした概念を広めようと努力すれば、多くの国は、反発を起こし、
固有な文化への認識の強化を高めるだけである。そのため、今後当面の間、
普遍的な文明は登場せず、むしろ多様な文明によって世界は規定されてゆく。
われわれに必要なのは、彼らと共存するすべをともに学ぶことである、
と考えている。
これ読んでいるとその発表後20年の世界の歩みと照らし合わせて見ても、色々と
考えさせられ、中々に興味を誘われる。

多分、この本を戦略論的な提起として読まむべきものであって、これを文明論××
として読むと過去に起きた多くの指摘に戸惑いを感じるであろう。
例えば、ヨーロッパとスラブは同じキリスト教なのにどうして別の文明にされている
のかとか日本はどうして儒教文明に入らないのかとか様々な疑問が出てくる。むしろ、
ハンチントンの想いが浮かれている西洋諸国(特にアメリカ)への警鐘と思えば、割合
すっきりと読めるのでは。

更に言えば、2000年初頭から拡大し始めたインターネットの影響を抜きにしては
これからの変化を正しく見ることは出来ない。それを概括的に見る点では、
「フラットな世界」は中々に面白い。

1990年代後半からのインターネットの進化を踏まえて、トーマス・フリードマン
が2005年に発刊している。そしてこの世界は更に深化している。
グローバリゼーションが広まり、世界がフラット化しつつある要素には、次の
10項目があると言っている。
①ベルリンの壁の崩壊とウィンドウズ
1990年のウィンドウズ3・0でアップル・IBM・ウィンドウ
ズ革命がおこった。「これで文字・音楽・数字データ・地図・写真・音声・映像が
すべてデジタル表示できるようになった。そのうち誰もがたいした費用をかけずに
デジタル・コンテンツを作り出すことになる。
②インターネットの普及と接続の自由
世界は本気でフラット化に向かった。
③ワークフロー・ソフトウェアと共同作業の実現
ここに「標準化」(スタンダード)という共有を求める価値観が生まれた。
④アップローディングとコミュニティ現出
アップローディングのしくみは、コミュニティを創りだし、「リナックス」
「ブログ」「ウィキペディア」「ポッドキャスティング」「ユーチューブ」
などが輩出した。
⑤アウトソーシングによる技術転移
フラット化された世界の技術はアウトソーシングの先に新たな技術と市場を
つくっていく。
⑥オフショアリングがおこった
⑦サプライチェーンが一変する
フラットな世界ではサプライチェーンが競争力と利益の根幹になっていくことを劇的に
示した企業が出てきた。
⑧インソーシングで世界が同期化する
⑨グーグルによるインフォーミング
グーグルが世界の知識を平等化した。
そこにはグーゴル(10の100乗)な数の人間がかかわれるようになった。
グーグルは、アップローディング、アウトソーシング、インソーシング、
サプライチェーン、オフショアリングのすべての個人化を可能にした。
これによって、「自分で自分に情報を教える」というインフォーミング
が可能になった。これにより、世界はますますフラット化する。
グーグルは更に先の変化に対応しようとしている。
⑩情報のステロイドホルモン化
「デジタル」と「ワイヤレス」と「モバイル」と「ヴァーチャル」と
「パーソナル」が掛け算されると、強力な情報のステロイドホルモン化がおこる。

更に、これらの要素を最適な形で有効に活用するには、以下の3つの集束
が必要となる。
1)グローバルなプラットホームが形成され、共同作業が可能となる。
これらを上手くこなす仕組み、
フラットな世界への接続可能なインフラ、
プラットホームを活用できる教育体制、
プラットホームの利点欠点を活かせる統治体制、
を構築できた国が先進的な活動と富、権力を得ることが出来る。
2)水平化を推進する力
水平な共同作業や価値創出のプロセスに慣れている多様な人材が必要である。
3)新たなるメンバーの参加
中国やロシアなど政治、経済などの壁により、参加できなかった30億人
以上のメンバーの参加が可能となった。

面白いのは、これらが実行されることにより、世界レベルでの変革となるが、
その基本は、「共産党宣言」に指摘されていることである。
「昔ながらの古めかしい固定観念や意見を拠り所にしている一定不変の凍り
ついた関係は一掃され、新たに形作られる物もすべて固まる前に時代遅れになる。
固体は溶けて消滅し、神聖は汚され、人間はついに、人生や他者との関係の実相
を、理性的な五感で受け止めざるを得なくなる。、、、、、そうした産業を駆逐
した新しい産業の導入が、全ての文明国の死活を左右する。、、、、、、、
どの国もブルジョアの生産方式に合わさざるを得ない。一言で言うなら、
ブルジョアは、世界を自分の姿そのままに作り変える。」

フリードマンの指摘は更に深化して社会、政治、経済まで大きく変わりつつある。
その深化する速度も年々加速化しているようにも思える。
これにハンチントンの想いを照らし合わせてみると、この道には素人である私にも、
面白く見えてくるのでは、そんな思いがする。

2015.11.20

「2040年の新世界」より思う。3Dプリンタが拓く、光と影。

今までの記事では、技術の進化に伴い、我々が技術の恩恵を如何に受けるか、
であった。
本書では、こんなことも言っている。 
・3Dプリンタは、いつか究極のFAX機になる
・人口のミニ臓器は、経験の浅い外科医の訓練に役立つ
・市販されている主なプリンタのひとつであるメイカーボット社のレプリケーターは、
「フロストルーダー(Frostruder)」という追加部品を取り付けてフードプリンタにす
ることができる 等。これらは前回までに色々と書いてきた。
しかし、高度な形をスキャンすることの大変さ、知的財産権の問題、ドラッグや武器
の複製問題など、3Dプリンティングの課題、問題についても書いている。
技術の進化には、光と闇の部分が必ず並存する。

本書は大きく3つの内容に分類できる。一つは1章から6章までは3Dプリンタの経済
への影響や、機械的な仕組み、デザインソフトといった「3Dプリンティングの仕組み
とこれから」について述べられている。二つ目は7章から10章まででフードプリンタ
や医療、教育、アートに関して「3Dプリンタによって可能となること」について
述べられている。過去の記事では、これらを書いてきた。
三つ目は11章から14章までで、環境問題、知的財産権そして技術の発展で可能に
なることなど、「将来3Dプリンティングがもたらす期待と不安」について
述べられている。
今回はその複製問題や知的財産などの不安な点について述べていく。
環境問題、特許などの知的財産権、薬物や武器の複製問題(12章)などの3D
プリンティングの課題について考えることが重要である。

1)複製問題の事例より
昨今話題となったのが、拳銃の自作である。
アメリカを中心にそのような報告が多いが、日本でも最近3Dプリンタを用いて
拳銃を製作していたとして、湘南工科大学職員が神奈川県警に逮捕された。彼は、
ガンマニアであり、インターネットを通じて海外サイトから設計図をダウンロード
したとみられる。
「銃器の自作」以外にも様々なものが指摘されている。

・高度なスキミング装置の量産化
3DプリンタとCADシステムを用いることにより、カード情報を盗み出す高度な
スキミング装置が、簡単に量産できるようになる可能性があるという。
オーストラリアでは、3Dプリンタで作られたスキミング装置がATMに仕掛けられると
いう事件も発生し、逮捕者が出ている。

・高度な防犯鍵の複製
米国シュレイジ社が開発した、高い防犯性能を誇る鍵「プリマス」。
高度な技術によって生産され、政府期間や拘置所でも利用されており、「複製する
ことは不可能」とメーカーは自信を持っていたが、マサチューセッツ工科大学(MIT)
の学生たちが、3Dプリンタを用いてその鍵の複製に成功した。
MITの学生たちは、独自に開発したソフトウェアと、高出力3Dプリンターサービスを
利用して複製に成功したと報じられている。しかもナイロン素材であれば、
かかった費用はわずか500円程度だったという。

・武器の複製
CNNニュースによると、米国防総省は正規に製造された軍事機器の部品が偽造される
危険が増していると懸念している。3Dプリンターは墜落した小型無人飛行機、
ヘリコプター、飛行機などの部品断片も容易に複製可能だ。このため、米国の軍事技術
を他国が複製する危惧がある。米テキサス州オースティンを拠点にする
「ディフェンス・ディストリビュート」はインターネットを媒体にした武器の開発と
情報提供を目指す団体だが、同団体により製造されたプラスチック製銃が
最近、公表された。
3Dプリンタで製作した銃を実際に発射して見せる動画が公開された。
前例を超える技術規制を米議会が行動を起こすのは待っていられないと、一部議員の
中には3Dプリンタによる銃器に対して法律規制を求める活動を始めている者もいる。

・薬やドラッグの製造
スコットランドのグラスゴー大学の化学者であるクローニン氏は、明るい色彩の
プラスチック製玩具やハニカム構造のブレスレット以外にも3Dプリンタの
可能性を予見している。彼は同僚と共に英国の化学雑誌「ネイチャー・ケミストリー」
で「ケムピュータ」(Chemputer)に関する論文を発表した。
「ケムピュータ」(Chemputer)とは、自在に化学素材を組み合わせて成型してくれる
3Dプリンタのことだ。新薬を迅速にプリントできる可能性があるという。
個人のDNA配列に合わせて、新薬が3Dプリンタにより製造可能になる
かもしれない。
しかしオンデマンド方式での薬の生成技術は、娯楽用ドラッグがプリントアウト
される可能性もある。コカイン生成の化学式は公開されている。また、塩素ガス生成
の化学式も公開されている。小さな組織でも今後、洗練された生物または化学兵器を
作成する可能性は高い」と語っている。また、彼は、3Dプリンタ銃に厳しい規制を
呼びかけている。

・3Dプリンタ規制への動き
一部では、3Dプリンタの登録について米国商務省と防衛部門で現在議論が行われて
いると述べた。だがオンライン上で既に事態は発生しているとして、デジタルの精霊
をビンの中に閉じ込めておくことは事実上不可能だと指摘した。
米国は必要な規制を実施することができるだろうが、業界はグローバルな展開を
見せている。 「3Dプリンタを規制するために、全体像を概念化することは非常に
困難である。数十年にもわたり射出形成や印刷用染料を使用してきたが、製造プロセス
にかかわる人すべてを規制することは不可能だ」と法律事務所の知的財産弁護士らは、
述べているという。「どれほど3Dプリンタは危険なのか? 本当に新しい法律制定
は必要なのか? 生物テロに使用された炭疽菌、爆弾、中枢神経系興奮薬メタン
フェタミン(などが一括して容易にプリントされる日が来るかもしれない。」と
言われている。」また、「3Dプリンタには未解決な法的問題がいくつもある。
中でも大きな問題は、誰かが3Dプリンタ銃で第三者を撃った場合、あるいは化学
兵器をコピーした場合、元々の製造者は責任を負うのかというものだ。製造方法の
「性質」が問題に大きく関与してくる。 確かなことは、もう後戻りできないという
ことだ。3Dプリントしたパーツから作った銃で、実際に武装可能だからだ」。

2)著作権、知的所有権の問題
3Dプリント市場は今後10年間で成長の一途をたどる。昨年以降、各調査会社や
金融機関が市場の見通しを発表しているが、3Dプリンタは世界規模でますます
拡大していく。その一方で3Dプリンタの普及が進めば進むほど課題となるのが
著作権、知的所有権の問題だ。
3Dデータから直接物体生成できるという特性上、極端な言い方をすれば、一つの
データで何度でも同じ物体を製造することが可能だ。
不正にコピーされた商品のデータを使って大量に生産し、販売するということも
当然起こりうるとされている。そのような懸念があるなか、大手IT系調査会社の
ガートナーは3Dプリンタが拡大することの被害総額を予測している。
著作権侵害によるその被害総額はグローバル規模で見た場合、2018年度には
1000億ドル、約10兆円に達すると予測している。

3Dプリンタとそれに伴う関連市場は確実に成長を遂げていくが、一方で、こうした
著作権侵害の課題を解決することなくして、更なる成長は生まれないだろう。
今新たに3Dデータによる著作権侵害の課題を解決する動きが着実に浸透しつつある。
その代表的な取り組みが3Dプリントする際の3Dデータのストリーミング化だ。
こうした3Dデータの安全な取扱と、制作者の知的財産権が保護される仕組みが
整ってこそ、本当の3Dプリンタの浸透が始まると言っても過言ではない。
特にこれからは、大手小売りチェーンやメーカー各社が3Dプリント市場に参入
するには、データのストリーミング化と知的財産の保護は必須となる。

しかし、多くの方にとって重要なのは、この3Dプリンタの普及によって、
実ビジネスがどう変わるかということであろう。
・規模の経済はもはやビジネスモデルを決定しない。
・経験経済では、採算性の高い、成功を収める企業は、顧客に経験や変身をもたらす
製品や商品を売る企業である。
・3Dプリンティングによって、人々は本業を続けながら、自分が創作した新製品の
市場可能性を探ることができる。 など、メイカーズムーブメントの先にあるビジネス
の変化、社会の変化がどのような形になるのか、を見る必要がある。
3Dプリンティングの利点はただ必要なものをプリントするだけでない。
製品を販売する際に、どのような形状が売れやすいかを調べるため様々な形の製品を
プリントして、顧客にどの形なら買ってみたいか訊いてみるなどといったこともできる
ようになるし、一体型でプリントすることができる利点を活かして組立てや輸送費用
といったコストをカットすることも可能となるのだ。3Dプリンタ技術の進歩は人々の
生活をより良いものにするだろう。
このように素晴らしい技術であるが、著者は実用的な3Dプリンタの実現には今回
書いた記述以外でも、様々な課題があるとしている。それは例えば複数の素材を
用いて無数のデザインを組み合わせる技術や直観的に操作することのできる
アプリケーションの開発、新たなデザイン規格の作成、知的財産権などの法的課題
などである。
だが、技術の進化を止めることは出来ない。複数素材でプリントする3Dプリンタ
などは限定的であるものの実用化されており、他の課題についても10から20年後
には解決されるとしている。

2015.11.13

ドラッカー「ネクスト・ソサエティ」に思う。その二

この本では、IT革命は、印刷革命が引き起こした社会革命やさらにその先の産業
革命の入口になったように、同じように大きな社会革命・産業革命の入口になる
可能性があると言っている。
「ネクスト・ソサエティ」とはまさに社会革命である。

ネクスト・ソサエティは知識社会である。知識が中核の資源となり、知識労働者が中核
の働き手となる。知識社会としてのネクスト・ソサエティには三つの特質がある。
第一に、知識は資金よりも容易に移動するがゆえに、いかなる境界もない社会となる。
第二に、万人に教育の機会が与えられるがゆえに、上方への移動が自由な社会となる。
第三に、万人が生産手段としての知識を手に入れ、しかも万人が勝てるわけではないが
ゆえに、成功と失敗の並存する社会となる。
これら三つの特質のゆえに、ネクスト・ソサエティは、組織にとっても1人ひとりの
人間にとっても、高度に競争的な社会となる。

先日、非正規労働者四割となっている日本の現状をリポートした映像を見た。
改正派遣法の及ぼす個々の労働者の想いを報告していたが、来るべきネクスト
・ソサエティの社会に不安を覚えた。だが、高度な競争社会になっていくのは、
必然の動きなのであろう。

パラダイムが変った。第1に、知識が主たる生産手段、すなわち資本となった。
知識は1人ひとりの知識労働者が所有する。第2に、今日でも働きての半分以上が
フルタイムで働き、そこから得るものを唯一または主たる生計の資としているものの、
ますます多くが正社員ではなくパートタイム社員、臨時社員、契約社員、顧問
として働くようになった。第3に企業活動に必要とされる知識が高度化し、専門化し、
内部で維持するには費用がかかりすぎるものとなった。しかも、知識は常時
使わなければ劣化する。それゆえ、時折の仕事を内部で行なっていたのでは
成果をあげられなくなつた。組織が生き残りかつ成功するためには、自らが
チェンジ・エージェント、すなわち変化する組織とならなければならない。
変化をマネジメントする最善の方法は、自ら変化をつくりだすことである。
ネクスト・ソサエティとは、ITだけが主役の社会ではない。
もちろん、ITだけによって形づくられる社会でもない。ITは重要である。
しかし、それはいくつかの重要な要因の1つにすぎない。ネクスト・ソサエティ
をネクスト・ソサエティたらしめるものは、これまでの歴史が常にそうで
あったように、新たな制度、新たな理念、新たなイデオロギー、そして
新たな課題である。

組織が変わると同時に、個人も変わる必要がある。高度成長時代を通じて、
多くの労働者は自立した個人よりも、組織の一員としての行動が要求され、
それによって、組織も個人もその対価を満遍なく受けて来た。
会社に寄りかかることが自分の生活を豊かにすることに直結していた。
しかし、それは許されない。が、まだ多くの人の意識はそのままである。
この本では、それを強く言っているのだが、日本では15年経ったが、
昔のままだ。

知識労働者には2つのもが不可欠である。その1つが、知識労働者としての
知識を身につけるための学校教育である。もう1つが、その知識労働者としての
知識を最新に保つための継続教育である。知識は急速に陳腐化する。
そのため定期的に教室に戻ることが不可欠となる。知識社会は、上方への移動に
制限がないという初めての社会である。知識は、相続も継承もできないところが
他の生産手段と異なる。あらゆるものを自力で獲得しなければならない。
これからの知識社会においては、極めて多くの人間、おそらく過半数の人間が、
金銭的な安定よりもはるかに重要なこと、すなわち自らの社会的な位置づけと
豊かさを実感することになる。
あらゆる知識労働者には、3つのことを聞かなければならない。第1が強みは何か、
どのような強みを発揮してくれるかである。第2に何を期待してよいか、
いつまでに結果を出してくれるかである。第3がそのためにどのような情報を
得るのか、どのような情報をだすのかである。
知識社会においては、企業は生計の資を得る場所ではあっても、生活と人生を築く
場所ではありえないからである。それは、人に対して物質的な成功と仕事上の
自己実現を与えるし、またそうでなければならない。しかし、そこだけでは、
テニエスが昔に言ったコミュニティなることはできない。「ゲマインシャフト
とゲゼルシャフト(コミュニティと社会)」の有機的な存在としての
コミュニティは、どこにもない。
これは「職場コミュニティの限界」でもあり、その唯一実現の可能性を持った
日本でさえも、崩れてしまっている。

前記にもある様に、日本は19世紀のヨーロッパの社会であり、各省庁に
象徴されるように、官僚が自分たちの身を守るために規制も解かず従来のやり方
を踏襲しているとすると、この先は大いに不幸になるのみか。
日本は全労働人口のうち製造業に25%、農業人口は4.7%もおりこの十年で
製造業の人口が10%をきらないと危ないとも指摘している。
ネクスト・ソサエティをもたらす社会の変化が、働く人たちの役割を規定していく。
すなわち、経済よりも社会の変化のほうが重大な意味をもつにいたった
ということである。

最終稿では、NPOが企業に代わって社会問題を解決する中心組織になると
予言している。またコミュニティの存在感が希薄だった都市部が濃厚な
コミュニティを形成するようになるだろうということも言っている。
そこでは、様々な社会のニーズを実現し、ある程度教育を受けた知識労働者
によるコミュニティの創造が可能だからである。
しかし、今の日本では、ホンの一部のNPOにその期待は持てるが、
ほとんどのNPOは行政の肩代わりとなり、単なる金のかからない行政の
下請けとしての存在である場合が多いし、企業と同じくこれからの社会に
向けて変わっていく気配はまだ少ない。これが現状である。

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