人生

2017.07.21

わたし的安保その2

1974年8月30日 「狼」班による三菱重工ビル爆破(三菱重工爆破事件)。
八名が死亡、三百八十五人が重軽傷。
同年十月十四日  「大地の牙」班による物産館(三井物産本社屋)爆破(三井物産爆破事件)。
十七人が重軽傷。
同年十一月二十五日 「狼」班による帝人中央研究所爆発(帝人中央研究所爆破事件)。
同年十二月十日 「大地の牙」班による大成建設本社爆破(大成建設爆破事件)。九人が重軽傷。
同年十二月二十三日  「さそり」班による鹿島建設資材置場爆破(鹿島建設爆破事件)。
1975年二月二十八日  三班合同による間組本社ビルと同社大宮工場爆破(間組爆破事件)。
五人が負傷。
同年四月十九日 「大地の牙」班によるオリエンタルメタル社・韓国産業経済研究所爆破
(オリエンタルメタル社・韓産研爆破事件)。
同年四月二十八日  「さそり」班による間組京成江戸川作業所爆破(間組爆破事件)。一人が重傷。
同年五月四日  「さそり」班による間組京成江戸川橋鉄橋工事現場爆破
(間組爆破事件)。

吉田松陰は常に「狂」ということを言ってきた。その「狂」はわが思想を現実化するするときには、
「狂」にならざるを得ないという意味であり、精神病理的な言葉ではない。そのような
「狂」は、歴史や社会が古びてどうしようもないときに発すべき言葉であり、日本では
明治維新しかなかった。さらに、そのような革命が行われるにしても、三つの人物がきちんと
対応しないと上手くはいかない。最初は思想家であり、次はその思想に殉じて行く人、
最後は革命を実際の社会的な基盤とするための現実的な処理能力を持った人が必要となる。
さらには、この「狂」を活かしていく社会的な行動がある。集団狂気の場の形成をしていく。
これがあって、社会的な大きな動きとなる。これは蓮如の北陸での活動にも言えるのであり、
一向一揆は社会的な底辺の人々のエネルギーを吸収したからあれほどの力を持った。
集団的な場の形成が「浄土来迎」という形で、皆に「狂」の行動をとらしたのかもしれない。
人間の本質的な部分をとらえると素晴らしい力となる。しかし、それが現状とは大きく
ずれても集団の場では、より過激な意見を主張するのが、勝つという架空の状況が出てくる。
陸軍が中心に、世界大戦に突入していったことはこれなのであろう。
また、戦後左翼の運動の中でも単なる「狂」の動きがあったが、それだけでは何もできない。
現状の把握が必要なのである。しかし、思想的な発狂や集団発狂の横行があるのはこの百年の
日本歴史である。企業爆破事件はわずかな人間の行動であり、真の「狂」ではない。
このことは二十年ほど前の地下鉄サリン事件も同じなのであろう。思想とその後の現実社会
への処理が伴わない以上単なる殺人事件のたぐいである。
だが、そいう自分も何様でもない。「狂」とは無関係な単なるサラリーマンであり、
家庭の平和だけが願いの人間であった。そして多くの日本人も、革命とは関係なく,
しいて言えば、「なんとなく生きていくこと」に少し不満の気持ちを抱えているだけで
日々を生きていた。それは、今の時代でも変わっていない。

さらに、阿久悠が書いた本の一文では、沢田研二が歌った「時の過ぎ行くままに」
にチョット耳の痛い話の一節がある。
「ベビーブームで生まれた団塊の世代の人口が一番多い。学生時代に、世界
同時革命、などのスローガンを掲げて社会の矛盾を突いていた人が、社会に出たとたん、
直行でマイホーム型人間になってしまったように見える。結局、「革命だ、革命だ」
と大騒ぎした人たちが、会社のため、家族のためにと人一倍身を削って働くことになった。
世界革命と叫んで闘争したあの騒ぎは何処へ行ってしまったのか」
あの男たちの気概は何処へ行ってしまったのか。
あの静まり方は大騒ぎした後にむなしさが残るようなそんな感じに似ていた。
私を含め、多くの若者がこのような社会の波の中で、自分を見つけるのに精一杯だった時代でもある。
、、、、、、、、、
あなたはすっかり 疲れてしまい
生きていることさえ いやだと泣いた
壊れたピアノで 思い出の歌
片手で弾いては ためいきついた

時の過ぎ行くままに この身をまかせ
男と女が ただよいながら、、、、、」

「時の過ぎ行くままに」にこのような想いがあることは知らなかったが、
あらためてこの歌詞を見ると納得感がある。
しかし、平成も三十年ほどになり、昭和は消えつつある。個人の脳裏から
さらには社会の記憶から、私の記憶からもわずかな断片としてしか残っていない。
時代は変わりつつある。何かいびつな成熟社会、60年・70年安保の闘争の
エネルギーはともかく、社会を変えるというエネルギーは期待し得ないのだろうか。

2017.07.14

わたし的安保その1

60年安保、更に70年安保、今の70歳以上の方には、心にどこかに
残る過去の懐かしさと悔恨の出来事なのではないだろうか。
時代が変わったと一言で片づけるには、大きな節目と思う。私自身は10代であり、
今とは違い情報伝達の貧弱な時代のなかで、わずかにテレビや新聞からの情報を
見たり聞いたりした程度であり、その切迫感はあまりなかった。というより、
関心がなかったに近いかもしれない。
だが、最近、youtube等の映像で見ると、ある意味懐かしさと憧れを感じる。
あれから約半世紀、成熟したと言われる日本社会、だが、それはそれは個人嗜好
にのみそのエネルギーを注ぐという社会的無関心が基底にあるような気がする。
それゆえ、たとえ映像からとはいえ、あの時代の熱情とエネルギーを感じられる
ということは羨ましいことでもある。

柴田翔の「されどわれらが日々」は、その現場感、当時の若者の想いを知る、感じる
本としては貴重なのであろう。さらに、彼らの心根が少なからず当時の多くの国民の
共通認識ではなかったのか、とも思える。

その一文、
「先頭が橋を渡って、広場へ入ろうとしたとき、そこにいた警官隊と小競り合いが
あったようでした。ピストルの音が響きました。催涙弾だったかもしれません。
が、革命が犠牲者を必要とするのは当然のことです。ぼくらは、死者が出ることも
もちろん予想していました。ぼくらは警官隊の薄い壁を、たちまち破って広場に
なだれ込みました。、、、、、、、
むしろその時朝鮮で戦われていた戦争が、やがて日本に波及するだろうことは、
確実なことだと思っていました。そして、そうなったとき、アメリカ資本主義の
弾除けになることは、絶対嫌でした。ぼくらは、その時はパルチザンになるのだと
決心していました。いや、ぼくらは、爆撃機が朝鮮に向かって飛び立ち、空襲警報
が発令され、何人かが傭兵として朝鮮で死んだという噂が乱れ飛んでいる日本は、
もう半ば以上、戦場だと思っていました。、、、、、
ぼくらは人民広場に自分たちの足で立ち、そうしたことへの第一歩を、今こそ
踏み出しているのだという興奮に包まれていました。
、、、、、、
ぼくらの後ろで、デモ隊はなお数を増しているようです。すると、その圧力に押し支えら
れて、ぼくらの列はじりじりと前に出る。と、それに応えて、警官隊がじりじりと
間をつめる。ぼくは汗が頬を伝っているのを感じました。、、、、、、、
もう威声とも、叫びとも、泣き声ともつかぬ必死の声をあげて、前へ突き進んで行きま
した。、、、、、、、
はっと気が付くと、ぼくのすぐ前には、眼をつり上げて、ぼくらに襲い掛かろう
としている警官隊がいました。警棒も鉄カブトの縁も血に染まり、眼と顔全体が何かに
憑りつかれたように、ぎらぎらと光っています。」

このような状況が正しいか、もっと違う方法がなかったのか、それは個人的な
思いに任せるが、この本やyoutubeから伝わってくるエネルギーの大きさには
共感を禁じ得ない。だが、それも共感という心の寄り添いだけで、行動したいと思う
ことは考えられない。後述する阿久悠の一文そのものでもある。
「憲法改正への動きに対する反対運動では、60年、70年安保を十分昇華しきれなかった
高齢者グループ」も頑張っていたという。彼らには、敬意を表したい。

ある男の想いとしてノンフィクション的にこの時代を概観してみた。
「この時期、世の中は不安な影があちらこちらに見えた。
あの60年、70年安保闘争の激しさは他人事のような、ただ日々の流れの中の
一つに過ぎなかった。三里塚闘争も含め60年代の不安、不定の時代、そして自身が
過ごした70年代の華々しさとも無縁の世界であった。この不安な時代の中に身を
置いた友人もいたが、その後の彼らが今ある日本の姿をどれほど変えたかは、
分からない。然しながら、1968年は時代の節目であったのだろう。ベトナム戦争
のリアルな映像が世界を席巻する中で、学生を中心とする若者たちが自分たちと
国家の関係に疑問を強く抱きはじめた。フランスのパリの5月革命、アメリカの大学封鎖、
日本でも東大封鎖に見られた学生運動の活発化、など世界で若者たちがデモや学校封鎖、
一般のストなどが実行されていた。それは60年安保、70年安保闘争の延長の意味合いも
あったのだろうが、60年安保では、国民の政府への抵抗であり、60万人を超す人が
デモに参加し、この騒乱の中、岸内閣は解散となり、国民の意識も変化し始めた。
しかし、68年の東大での学生運動は強制的な排除となって、挫折した。さらには、
1972年のあさま山荘での連合赤軍の内部闘争での殺人や内ゲバの凄惨さがテレビで
報道され、その無差別な行動が明らかになり、デモや学生運動への嫌悪が高まった。
日頃、政治などに関係ないと思っていた彼もそこに一種の不気味さと嫌悪感を持ったものだ。
70年安保も一応の高まりを見せたが、60年ほどの熱意も薄れ、70年半ばからは、
社会的な拒否意識が強くなった。しかしながら、最近またデモや抗議活動への意識が
高まっているという。大きな起点は福島原発事故への原発反対運動であり、2015年
からの安部政権による憲法改正への動きに対する反対運動である。これには、60年、
70年安保を十分昇華しきれなかった高齢者グループと原発反対からネットワーク化
された若者たちのグループ(たとえばシールズ)の二つの年代層が大きくかかわって
きているという。振り返れば、68年の学生運動、70年安保ともに関係なしと決め込み、
ただ目の前の仕事にのみ全力を尽くしていた自分がいた。個人的にはやはり政治に絡むのは、
好きではない。その思いが最近のシニアグループのこのような活動への理解が低く、
参加意識もない、などの行動となっている。多分、これからもそうなのであろう。
しかしながら当時は、日本にまだ「狂」の空気が残っていた時代でもある。
ちょうど結婚した年であった。企業の連続爆破事件がまず三菱重工のビルであった。
私も、NTTの仕事の関係もあり、あの辺をよく通っていたし、爆発の一週間前にも
三菱のビルの前を通っていた。他人事ではなかった。
この「狂」の影に多くの人が命を失った。

2017.07.07

わたし的輪廻転生その2

さらには、道元も輪廻転生について、その著作中には多くの輪廻に関わる多くの
表現が見出される。だが、これには是を云う背景がなんとなく垣間見える。

「三時業」、「四禅比丘」、「発菩提心」、「仏道」他から引用するなどして、
道元は輪廻の立場に立ちながら、その中において仏道を行じ、そして、生死輪廻の
中において仏道を行ずるということそのままが生死輪廻からの解脱であると
する。
さらに、「道心」では、より詳しく述べている。
「仏道をもとむるには、まづ道心をさきとすべし。道心のありやう、しれる人
まれなり。あきらかにしれらん人に問ふべし。
よの人は道心ありといへども、まことには道心なき人あり。まことに道心ありて、
人にしられざる人あり。かくのごとく、ありなししりがたし。おほかた、
おろかにあしき人のことばを信ぜず、きかざるなり。また、わがこころをさきとせざれ、
仏のとかせたまひたるのりをさきとすべし。よくよく道心あるべきやうを、
よるひるつねにこころにかけて、この世にいかでかまことの菩提あらましと、
ねがひいのるべし。
世のすゑには、まことある道心者、おほかたなし。しかあれども、しばらく心を無常
にかけて、世のはかなく、人のいのちのあやふきこと、わすれざるべし。われは世のは
かなきことをおもふと、しられざるべし。あひかまへて、法をおもくして、わが身、我
がいのちをかろくすべし。法のためには、身もいのちもをしまざるべし。

つぎには、ふかく仏法三宝をうやまひたてまつるべし。生をかへ身をかへても、三宝
を供養し、うやまひたてまつらんことをねがふべし。ねてもさめても三宝の功をおもひ
たてまつるべし、ねてもさめても三宝をとなへたてまつるべし。たとひこの生をすてて、
いまだ後の生にむまれざらんそのあひだ、中有と云ふことあり。そのいのち七日なる、
そのあひだも、つねにこゑもやまず三宝をとなへたてまつらんとおもふべし。七日を
へぬれば、中有にて死して、また中有の身をうけて七日あり。いかにひさしといへども
、七七日をばすぎず。このとき、なにごとを見きくもさはりなきこと、天眼のごとし。
かからんとき、心をはげまして三宝をとなへたてまつり、南無帰依仏、南無帰依法、南
無帰依僧ととなへたてまつらんこと、わすれず、ひまなく、となへたてまつるべし。

すでに中有をすぎて、父母のほとりにちかづかんときも、あひかまへてあひかまへて、
正知ありて託胎せん処胎藏にありても、三宝をとなへたてまつるべし。むまれおちん
ときも、となへたてまつらんこと、おこたらざらん。六根にへて、三宝をくやうじたて
まつり、となへたてまつり、帰依したてまつらんと、ふかくねがふべし。
またこの生のをはるときは、二つの眼たちまちにくらくなるべし。そのときを、すで
に生のをはりとしりて、はげみて南無帰依仏ととなへたてまつるべし。このとき、十方
の仏、あはれみをたれさせたまふ。ありて悪趣におもむくべきつみも、転じて天上にむ
まれ、仏前にうまれて、ほとけををがみたてまつり、仏のとかせたまふのりをきくなり。
眼の前にやみのきたらんよりのちは、たゆまずはげみて三帰依となへたてまつること、
中有までも後生までも、おこたるべからず。かくのごとくして、生々世々をつくして
となへたてまつるべし。仏果菩提にいたらんまでも、おこたらざるべし。これ仏菩薩の
おこなはせたまふみちなり。これを深く法をさとるとも云ふ、仏道の身にそなはるとも
云ふなり。さらにことおもひをまじへざらんとねがふべし」。

だが、これも仏道を会得するためには、輪廻転生という生の循環の中で、たえず三宝を
唱えねばならないとする方便のような気もしないではない。
だが、少し視点を変えて考えると「罪を犯すことの多い衆生、一般の人間に対する行動
信条」とも思われる。「心の救済」と「自身の変容」を言っている。
また、意識の連続を認識させるという点で、ユングの言う集団的無意識の存在に通ずるものが
あるのかもしれない。

一般的に人間の輪廻転生というと、今生きている「自分」という存在が死に、
霊界(あの世)に行く。そして、一定の時間を経て、地上(この世)に再生する
と考えられている。その時、再生するのは「前世」の私と「現世」の私は、
「自分」という全く同じ自意識をもっていると一般には考えられている。
再生する過程について、仏説では、詳細にその過程を述べているようだ。

さらには、特に日本では、輪廻も転生も、言葉としては、は同じであるともいう。
輪廻とは衆生(一般の人間)が、冥界即ち六道、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、
天上、を終わりも知れず、めぐってゆくことである。転生はいわゆる「生まれ変わり」
だが、仏説に描かれているような詳細なプロセスが何故必要だったのか。
疑問は残ったままだ。
私の家の庭にはこの季節になると糸トンボとカラスアゲハがその優美な姿を見せる。
彼らの行動を細かく見ていると、それは毎年同じように繰り返される。
もし私が彼らが卵を産みそこから新たに生まれるということを知らず、ある冬の日、
その遺骸を見たとする。私はどう思うだろう。彼らは生まれ変わってきた、転生
したと思うだろうか。輪廻転生もそのように日常のしごく当たり前の出来事の1つ
と思えばよいのであろう。もっとも、六道の輪廻はなぜ、そこまで厳密な定義
をしなくてはならないのか、依然不明だが。

2017.06.30

わたし的輪廻転生その1

別に個人的に人の生まれ変わりに大いなる興味を持っているわけではないし、
見えるモノ、科学的に論証できるものがすべてという近代科学の悪弊意見に
賛同を唱えるわけではない。さらに、今の自分が犯した罪を来世の中で
チャラにできるからというご都合主義的な考えもない。
しかし、仏教が広く広めたのであろう。輪廻と転生の考えは日本人の中に
長く棲みついてきた。それは私の中でも育まれてきたように思う。
ここで輪廻転生の高尚な理論や仏教での位置づけなどにあまり興味はない。
しかし、自分の意識の中にも根付いている「生まれ変わり」「死後の世界への
想い」に個人的な納得感を持ちたい、との想いはある。

まずは、山折哲雄氏の「近代日本人の宗教意識」という本では、
「私が面白いと思ったのは、わずか2例であるけれども中絶した子供の「生まれ変わり」
と考えている水子供養者がいたことである。
「生まれ変わり」という輪廻転生イメージに結びついた罪障感が、合法的な中絶行為
と表裏一体をなすような形で浮上している。、、、、
考えてみれば、このような輪廻転生の考えは我が国においても長い歴史があった。
大別してそこには、2つの大きな流れがあったのではないだろうか。
1つは死んだのちに人間の魂が山や海に行くという信仰である。
その後、祖霊や神になってこの世を訪れるという観念が加わった。もう1つが
仏教の来世観によってもたされたもので、死後おもむくべきところとしての
地獄や浄土の信仰が広まった。以上の2つの流れが重なり合い、死者の成仏を
願って行う先祖供養が形成されていった。霊魂の行方が「六道」といった形で
細かく分類されたり、多彩にイメージされるようになった。
そうした霊魂観が比較的濃厚だった近代以前の社会では、中絶がそれほど大きな
精神負担にはならなかったようである。
たとえ水子として流されても、ふたたび生まれ変わる可能性が共同体の中で
信じられ承認されていたからである」
とある。

死後の世界を肯定する場合には、この考えが必然的に出てくるのであろう。
だが、それには六道輪廻と呼ぶような霊魂の循環というよりも、前世と来世の自分は、
という直線的短絡的な考えが多いのではないだろうか。水子供養も生を生み出せなかった
ものの心の癒し的な意味合いが強い。個人的には、「1つの生と智慧の流れ」と呼ぶべき
モノの存在を明確にしたのでは、と思う。

そもそも輪廻転生について、少しながら引っ掛かりを得たのは、三島由紀夫の
「春の雪」の一文からであった。
少し長いが再読するのは中々に面白い。

「もし生まれ変わりということがあるとして」と本多はいくらか性急に話を進めた。
「それよりもさっきの白鳥の話のように、前生を知る智慧がある場合はいいが、
そうでなかったら、一度断たれた精神、無関係な思想が、次の人生に何の痕跡も
とどめていず、そこでまた、別個の新しい精神、無関係な思想が始まることになり、、、、
そうすれば、時間の上に一列に並べられた転生の各個体も、同じ時代の空間に
ちらばる各人の個体と同じで意味しかもたなくなり、、、、、そもそも転生という
ことの意味がなくなるんじゃありませんか。もし生まれ変わりということを
1つの思想と考えれば、そんなに何の関係もないいくつかの思想を一括する思想なんて
あるんでしょうか。現に僕たちは何1つ前世の記憶を持っていないのだから、
それからしても、生まれ変わりとは、決して確証のありえないものを証明しようとする
無駄な努力みたいですね。それを証明するには、過去世と現在世を等分に眺め、
比較対照する思想的な見地なければならないが、人間の思想は、必ず過現末の
どれかに偏して、歴史のただなかにいる「自分の思想」の家から、逃れようもないから
です。仏教では、中道というのがそれらしいけど、一体、中道とは、人間の持つ
ことのできる有機的な思想かどうか怪しいものですね。

一歩退いて、人間の抱くあらゆる思想をそれぞれの迷妄と考えれば、過去世か現在世
へと転生する1つの生命の、過去世の迷妄と現在世の迷妄を、それぞれ識別する
第3の見地がなければならないが、その第3の見地だけが、生まれ変わりを証明することが
できて、生まれ変わる当人には永遠の謎にすぎない。そして第3の見地とは、おそらく
悟りの見地なのだろうから、生まれ変わりという考えは、生まれ変わりを超越した
人間にしかつかめないものであって、そこで生まれ変わりの考えがつかまるとしても、
すでにそのとき、生まれ変わりというものは存在しなくなっているんじゃないか。
僕らは生きていて、死を豊富に所有している。弔いに、墓地に、そこのすがれた花束に、
死者の記憶に、目の当たりにする近親者の死に、それから自分の死の予測に。
それならば死者たちも、生を豊富に多様に所有しているのかもしれない。

死者の国から眺めた僕らの街に、学校に、工場の煙突に、次々と死に次々と生まれる
人間に。生まれ変わりとは、ただ、僕らが生の側から死を見るのと反対に、死の側から
生を眺めた表現にすぎないのではないだろうか。それはただ、眺め変えてみた
だけのことではないだろうか。
、、、、、、、、
「同じ個体が、別々の思想の中へ時を隔てて受け継がれていくとして、不思議ではないでしょう」
「猫と人間が同じ個体ですか?」
「生まれ変わりの考えは、それを同じ個体と呼ぶんです。肉体が連続しなくても、
忘念が連続するなら、同じ個体と考えて差し支えがありません。個体と言わず、
「1つの生の流れ」と呼んだらいいのかもしれない」。、、、、、、、、
たしかに人間を個体と考えず、1つの生の流れと捉えれる考え方はありうる。
静的な存在として考えず、流動する存在としてつかまえる考え方はありうる。1つの存在が
別々の「生の流れ」の中に受け継がれるのと、1つの「生の流れ」が別々の思想の中に
受け継がれるのとは、同じことになってしまう。生と思想とは同一化されてしまうからだ。
そしてそのような、生と思想が同一のものであるような哲学を推し広げれば、無数の
生の流れを統括する生の大きな潮の連環、人が「輪廻」と呼ぶものも、1つの思想で
ありうるかもしれない。

三島由紀夫の「豊穣の海」の基本テーマが輪廻転生であり、独特の豊潤な文体と
文の流れは読みにくい所もあるが、大いに参考にはなる。

2017.06.23

宮部みゆきと自分

テレビを何げなく見ていた時、突然、昔よく読んだ宮部みゆきの小説に
似た情景があったな、と思った。
彼女の小説は社会性と人間の内面性をよく描いているので好きな作品が多かった。
一歩間違えれば、私も彼女の小説の一片をなしていたかもしれない、哀れな
生い立ちを持つ不幸な殺人者として。そんなどこにでもある、しかし有り得ない
情景がかえって怖い。
宮部みゆきの本は、何冊読んでも、面白かった。
「火車、理由、名もなき毒、模倣犯、楽園、ソロモンの偽証」などなど、
社会問題を上手く扱い、その人物描写の上手さ、展開の面白さ、は
なんとも言えない。人物描写の上手さでは桐野夏生、乃南アサなど私の好きな
女性作家もいるが、チョット違う。また、そのボリュームの大きさでも、
圧倒的な迫力がある。

それらの中では「火車」が一番と思っている。
遠縁の男性に頼まれて彼の婚約者の行方を捜すことになった刑事が、
自らの意思で失踪、しかも徹底的に足取りを消していることを知る。
なぜ彼女はそこまでして自分の存在を消さねばならなかったのか、
いったい彼女は何者なのか、謎を解く鍵は、カード社会の犠牲とも
いうべき自己破産者の凄惨な人生に隠されていた。「お金」によって
もたらされる「絶望感」がそこにある。その「絶望」の中転がり落ちていく人を、
作中で「蛇の脱皮」に例えている一文がある。
「皮を脱いでいくでしょ?あれ、命懸けなんですってね。すごい
エネルギーが要るんでしょう。それでも、そんなことやってる。
どうしてだかわかります?」
「一生懸命、何度も何度も脱皮していくうちに、いつか足が生えてくるって
信じてるからなんですってさ。今度こそ、今度こそ、ってね」
「べつにいいじゃないのね、足なんか生えてこなくても、蛇なんだからさ。
立派に蛇なんだから」
「だけど、蛇は思ってるの。足があるほうがいい。足がある方が幸せだって」

さらに思うのは、この小説では「犯人たる彼女を客観視点のみ」で描いている。
過去の回想シーンであっても、必ず「犯人」を知っている誰かの視点
から描いていて、「犯人」を直接的に描写しているシーンというのが
一切無い。その結果、「誰かの客観的な観測」を何層も重ね合わせて
いくことで、おぼろげな「犯人像」が徐々に形を成していく。
小説に描かれている断片から読者が頭の中で犯人を形成していく。
これは今のような情報があふれ、それぞれがそれぞれの思いで勝手に
人物像を作り上げ、そこには責任が存在しない社会の一端に触れている
ようでもある。それは私も同じだ。自己完結していると思っている
自分も考えれば、自分に滞留している記憶のシーンを自分に都合のよい形
に当てはめているパズルゲームなのかもしれない。

そんな思いさえ浮かぶ。彼女の作品に共感するのは、単なるエンターテインメント
の域を超えているからであろう。いまここにいることがパズルゲームの
一つなのかもしれない。
しかし、この「火車」を数回読むうちに、ふと湧いた疑問があった。
「自分」というものはふしぎなものだ。だれもがまるで自明なこととして
「自分」という言葉を用いているが、われわればどれほど「自分」を
知っているだろうか。
たとえば、輪廻転生というが、「私は何だ。転生したら体は変わるし、
その前の自分はどうなるのだろう」。
インドの説話に次のような話がある。
ある旅人が空き家で一夜を明かしていると、一匹の鬼が死骸を担いで
そこへやってくる。そこへもう一匹の鬼が来て死骸の取り合いになるが、
いったいどちらのものなのかを聞いてみようと、旅人に尋ねかける。
旅人は恐ろしかったが仕方なく、前の鬼が担いできたというと、
あとの鬼が怒って旅人の手を引き抜いて床に投げつけた。前の鬼は
同情して死骸の手を持ってきて代わりにつけてくれた。あとの鬼は怒って、
足を抜くと、また前の鬼が死骸の足をくっつける。このようにして
旅人と死骸の体がすっかり入れ替わってしまった。二匹の鬼は
そこで争いをやめて、死骸を半分づつ喰って出て行ってしまった。
驚いたのは旅人である。今ここに生きている自分は、いったい
ほんとうの自分であろうかと考えだすとわけがわからなくなってしまうのである。
この話は「自分」ということの不可解さをうまく言い表している。
このように考えだすと全く分からなくなる。ここでは体のことになっているが、
たとえば、われわれは職業を代えても、私は私と思うだろう。
住居を代えても、私には変わりはない。しかし、そのようにして自分に
そなわっているすべてを次々と棄ててしまって、そこに「自分」
というものが残るのだろうか。それは、ラッキョウのように皮をはいでゆくと、
ついに実が残らないモノではなかろうか。

解けないパズルを無理にでも解こうとする、そんな想いが私の心にふつふつと
わいた。それは自身の何回かの転換と呼んでいる自分への想いでもある。
そして、この疑問は何かの拍子にふと私の心の扉から出てくる。
「理由」も好きだ。マンションに住んでいた家族と思われる人たちが
何の関係のない人の同居であることが徐々に明らかになる「理由」は
人間関係の薄いマンションという隔絶した世界と人の心理を描き出している。
ミステリーは殺人のような非日常性が基本であり、そこに読者は安寧と
一瞬の心の高まりを感じる無責任なものである。宮部みゆきの作品に
興味を魅かれるのは、そこに人間性と社会性が強く醸し出されているからだ。
だが、「もし火車のような人生が自分に降りかかってきたら」、
「理由に出てくる老人に自分がなっていたら」背筋をゆっくりと冷たい汗が
流れ落ちていく。
だが、人の人生は紙一重、何とか60年以上を過ごしてきたという、
安堵の気持ちが体をジワリと温めた。
2年ほど前の大病を契機に今までのコンサル等の仕事凡てを辞めた。
自分の見直しを1から始めようと、1500冊ほどあったマーケティングや
ITの専門書やミステリーの本をすべて捨てたが、宮部さんの本だけは
書棚にポツンと残っている。
次の自分が見つかったら、手に取って読みたいものだ。

2017.06.16

多数決の面白さ、神の啓示か

多数決でよく言われてきたこと。
多数決の原理は、政府を組織し、公共の課題に関する決断を下すための手段であり、抑
圧への道ではない。ひとりよがりで作った集団が他を抑圧する権利がないのと同様に、
民主主義国においてさえも、多数派が、少数派や個人の基本的な権利と自由を取り上げ
ることがあってはならない。
しかし、現実の多くは大分様相を異にしている。最近の日本の政治の決まり方、
EU離脱でのイギリスのこと、アメリカ大統領の選出の出来事、すべてが「数さえ多ければ
真である」と言った具合のようだ。
それは、多数決による決め方には、根本的に問題があるという指摘や多数決の取り方に
問題がるというように基本的課題やその手法課題など様々に入り乱れている。
もっとも、それでは独裁的に1人ですべてを決めていくのが良いかと言えば、そうとも言えない。
だが、ここでそれの是非や課題解決の提示をする気はさらさらないし、できる能力もない。.
「多数決に変わる新しい手法」などについて関係の研究者が色々と提起しているようだが、
それの是非については個人で考えてもらいたいものだ。

ベンサムの功利主義では、個を埋没化させ、ともかくその総和が大きいもの、数が多いもの
が正義と言っているが、この定量的な1か0かの時代には即した考え方ような気がする。
ベンサムがこの原理に到達したのは「我々が快や苦の感覚によって支配されている」と
考えたからである。この2つの感覚は我々の君主なのだ。それは我々のあらゆる行為を
支配し、さらに我々が行うべきことを決定するという。この論理が受け入れられるのは、
我々の意識をそのまま捉えているからであろう。功利主義はこの事実を認め、それを
道徳生活と政治生活の基本に据えている。効用の最大化は、個人だけでなく立法者、支配階層
の原理でもあるのだ。どんな法律や政策を制定するかを決めるにあたり、為政者は共同体
全体の幸福を最大にするため、あらゆる手段をとるべきなのである。
もっとも、今の日本では、独善的な想いに立った手段が取られ、「数が多い」という点のみが
幅を利かしている。

そんな折、山本七平氏の「日本人とは何か。」に面白い一文があった。
ちょっと長いが読んでもらいたい。
「この多数決原理を採用した多くの民族において、それは「神慮」や「神意」を問う方式だった。
面白いことにこの点では日本もヨーロッパも変わらない。古代の人びとは、将来に
対してどういう決定を行ってよいかわからぬj重大な時には、その集団の全員が
神に祈って神意を問うた。そして評決をする。すると多数決に神意が現れると信じた
のである。これは宗教的信仰だから合理的説明はできないが、「神意」が現れたら、
それが全員を拘束するのは当然である。これがルール化され、多数決以外で神意を
問うてはならない、となる。
そしてこれはあくまでも神意を問うのだから、「親の意向、、、親類の意向、、、、
師匠の意向、、、、」といったようなこの世の常に動かされてはならない。
そうすれば、「親の意向、、、親類の意向、、、、師匠の意向、、、、」
を問うことになってしまうから、神意は現れてくれない。もちろん賄賂などで動かされれば、
これは赦すべかざる神聖冒涜になる。これ等は日本でも厳しく禁じられている。
そして、延暦寺の異形・異声とか、高野山の「合点」とかは、こういう考え方の現れである。
おそらく、異形・異声になったとき、別人格となったのであろう。このような信仰に
基づけば、多数決に現れたのは「神慮」「神意」だから当然に全員を拘束し、
これに違反することは許されない。
多くの国での多数決原理の発生は、以上のような宗教性に基づくものであって、
「多くの人が賛成したから正しい」という「数の論理」ではない。、、、、、
これを今日的にいえば「私は神のお告げを受けた、故に私の提案は正しい」といった
神がかり的主張は一切認められず、方法は多数決のみということである。
以上に共通考え方は、多数決は神意の現れだから絶対だという考え方で、「多数
が賛成したから正しい」と考えているわけではない。ただ神意・神慮を問うのだから
自己の良心にのみ従って投票しなければならないという考え方と、そのための
さまざまなルールは、何物にも拘束されない議決を生み出したことは事実であろう。
、、、、、、
日本にはどこにでも神社があり、普通の農民でもその氏子である。氏子と言っても
それは血縁集団ではないが、彼らが一村一味同心して多数決で、年貢を一切
納めませんと言い出したらどうなるか。それは神社の神の「神慮」だから、超法規的に
正しいといえることになる」

神の存在さえ否定しかねない現代では、「多数決が神の啓示」というのが、どれほど
人々に受け入れられるかはわからない。だが、まるで意志のない機械的な「数の
多さ」だけの結果とは違うのではと思いたい。
有り得ないとは思うが、純粋に心を開き個人の心根を素直に見せるーそれは神の
意志の現われーことが可能であるのなら確かに最大の幸福が人々にその恩寵として
与えられるのだろう。これはインターネットが深化していく中、社会学者のトマス・C・
シェリングが発見したという「シェリングポイント(暗黙の調整)」が神の啓示
となるのかもしれない。

2017.06.09

夢の持つ力

夢には自分の奥底に隠された何かを知らせる情報、と多くの心理学者は言う。
精神的に問題がある人、普通の生活をしているものの何かの影に影響を受けている人、
その現れ方は様々なようだが、それは心の門が何かの拍子に開いたとき、
誰にでも現れるもののようだ。

だが、多くの人は目覚めとともに記憶の彼方へとそれらを押しやっている。
でも、
夢に現れた物は、本人とどんな関わりがあるのか?
本人の過去と何か関連性があるのかないのか?
本人以外のものとの関係は?
等と考えるのも、自身の新しい自分を再発見するのによいのでは。

多くの小説にもその場面が登場してくる。

川端康成の「山の音」にも老人の夢が何回か出てくるが、例えば、
「無邪気な夢なので、朝起きたら話そうと楽しみながら、信吾は雨の音を聞く間もなく
寝入ったのに、やがて邪悪な夢でまた目覚めた。
信吾は尖り気味の垂れ乳を触っていた。乳房は柔らかいままだった。張ってこないのは、
女が信吾の手に応える気もないのだ。何だ、つまらない。乳房に触れているのに、
信吾は女が誰かわからなかった。わからないというよりも、誰かと考えもしなかったのだ。
女の顔も体もなく、ただ2つの乳房だけが宙に浮いているようなものだ。
そこで、初めて、誰かと思うと、女は修一の友達の妹になった。しかし、信吾は良心も
刺激も、起きなかった。その娘だという印象も微弱だった。やはり姿はぼやけていた。
乳房は未産婦だが、未通と信吾は思っていなかった。純潔の後を夢に見て、
信吾ははっとした。困ったと思ったが、そう悪いとは思わないで、
「運動選手だったことにするんだな。」とつぶやいた。
その言い方におどろいて、信吾の夢はやぶれた。
、、、、、、、、
夢のなかの言葉と結びつけたのは、信吾の自己遁辞であろう。
夢の信吾は愛も喜びもなかった。みだらな夢のみだらな思いさえなかった。まったく、
なんだ、つまらない、であった。そして味気ない寝覚めだ」。
多分、老境の人は似たような夢に出会ったことがあるのでは、勝手に思う。

さらに、ユングの「人間と象徴」では、様々な夢の症例とその解釈が載っている。
例えば、
「彼女がみたのは、彼女自身のような若い女の列に自分が並んでいる夢であった。
そして、彼女たちが進んでいくほうをみると、各人が列の先頭に来た時、断頭台で
首を切り落とされるのが見えた。夢を見た当人は何の恐怖も感じないで、自分の番が
きたとき、同様な扱いにまったく喜んで従うつもりで列に残っていた。
これは、彼女が頭で生きるという習慣をやめる用意が出来ていたことを意味する。
すなわち、彼女が肉体の自然な性的反応を発見し、母性と言う生物学的な役目を
果たすために自分の肉体を開放する術を学ばねばならないのだ。彼女は男性的な
英雄の役目を犠牲にしなければならなかったのだ。」
これは心理療法を受けているキャリアウーマンの女性がその夢について語ったものである。
そしてこのような多くの夢分析から人の奥底に眠る普遍的無意識に気づいていった
のではないだろうか。

私も以下に近い夢を見たことがあった。近いというのは、覚醒後の記憶があいまいで
あったからだ。
私は、散らかり放題の1階の部屋にいる。横には、灯明の火影が小さな影を飛散
させている。そのゆらめきの中に艶やかな黒塗りの仏壇が浮かび上がっている。
鏡の前でじっと自分の顔を見るが、それが自分の顔なのか判別できない。恐る恐る
伸ばすの手の先に黒髪に混じって白髪が仄明るい光に映えている。
それは枯野に細雪がかかるごとく徐々に黒き風景をおおっていく様に似ている。
昨日抜いたと思ったが、今日にはまた白髪になっている。そんな日々が続いていた。
鏡の前にいる時間がすべてのような気になっていた。白髪を抜いているうちに
私らしい頭は白くなっていく。1本の白髪を抜くと、その隣の黒い毛が2、3本、
すうっと白くなる。私は白髪を抜きながら、さらに白さの増す頭を鏡の中に
見据えている。1本ずつ丹念に抜いていくが、痛さは感じない。やがて、白髪も
黒髪もない赤薄く汚れただれた頭の皮のみとなっている顔があった。
その茫洋とした鏡の顔をもっと見たくなり、鏡に顔を寄せる。鏡の中の顔が
にやりと笑った。その顔に驚き、思わず身を引いた。雲間から一筋の光が半白の障子に
差し込んだが、鏡には何も映っていない。思わず手を顔に寄せた時、夢から覚めた。
慌てて洗面所の鏡の前に行くが、そこにはいつもと変わらぬ顔があった。
黒髪の中にまばらに見える白髪と腫れぼったい目、弛みシミが目立つ頬、すべてが
そのままだった。心の底でよかった、と安堵の気持ちがふくらんでいく。
夢を少しながら分析していくと、結構面白いものである。
最初はなんだかよく分からない支離滅裂な内容で、「怖い」とか「不安だ」とか
いった感情の記憶だけが残るような夢だったのが、徐々に1つのストーリーとなっていく。
これは、自分の中にある“恐れ”の感情や“迷い”を克服して自立していくテーマかもしれない。

ユングも先ほどの本の中で、同様のことを言っている。
「その生涯を通じて彼は失敗の恐怖と結びついた不安の周期的な発作に襲われてきた。
しかし、彼の業績は職業面でも個人的な関係でも平均以上であった。夢の中で
彼の9歳の息子が中世の騎士の輝く鎧を着て、18か19の若い男として現れる。
若い男は黒服の男たちの一団と戦うために召し出されるのである。そこで、まず、
彼は戦おうとかまえる。それから突然、彼は冑を脱いで、恐ろしい一団の指導者に
笑いかける。彼らが争わないで友達になるだろうということは明らかである。
夢の中の息子はこの人自身の若い自我である。かれは、しばしば自己懐疑の
形をとった影に脅かされていたのだ。彼はある意味で、成人して以来ずっと、この敵に
たいして戦いを挑み勝利を収めてきたのだ。そして今、そのような懐疑なしに
息子が成長しているのを見て実際に勇気づけられたためでもあるが、とりわけ、
彼自身の環境の型に最も近いかたちの、適切な英雄の像を形成したために、彼は
もはや個人的な優越感のための競争に駆り立てられることはなくなって、民主主義的な
共同体をつくるための文化的な仕事に参画させられていた。このような結末は
充実した人生に到達したとき、英雄的な課題を越えて、ほんとうに成熟した態度に
人間を導いていくのである。」
何かから自立しようとしていることの表れは彼の多くの事例でも語られている。
徐々に進行する夢のテーマからは何かが得られるのである。
人は複雑な生き物だ。心理療法の事例を読むにつれますますその思いは強まる。

2017.06.02

「ふがいない僕は空を見た」その空虚さ、そして今

6年近く前「ふがいない僕は空を見た」という本を読んだことがあった。
何故、この本は買ったのか、自分でもよくわからない。多分、山本周五郎賞受賞と
あったからだろうと推察する。だが、内容は私の思いとは大きく外れていた。
高校生の斎藤君とその周辺の人が主人公の小説だったが、母子家庭、貧困、いじめ、
認知症、就職難、格差、多重債務、自殺、コミュニティの崩壊、、、、日本の
社会問題が詰め込まれた何でも玉手箱のような内容だった。
だが、この本には心の襞にふれる、また心根を浮き立たせる何かがあまり感じられなかった。
だが、これも現実の一部と考えると、もう少しページをめくる必要があるのでは、
それが最後まで読み通す根拠となった。

第1話から第5話まであり、全てかっこよさはない。
多くは、若者たちの性的描写であった。結局斜め読みの中で、興味あるところを付箋を
引いたのは僅かであった。
一通り読んだ後、これから私は何を感じ、何を思ったのだろう、賞もとり、それなりの評価
を受けたのに、何か空虚さだけが心に残った。少なくとも、30年ほど前の社会とは違う
情景が描かれている。更には、その性描写の多さにはうんざりした。
多分、われわれの時代を生きてきた人間には、納得のいかない本なのかもしれない。

第1話は、斎藤君と既婚女性の不思議な交際についての話。
  コスプレ女性と高校生との不倫がその濃厚な性描写で描かれる。
  しかし、ここには心を通わせる仕草も互いを気遣う心根はない。
第2話は、冴えない青春を送ってきた男女が出会い、子供作りに励む話。
  体外受精までして子供を作ろうとするが、不倫に走る妻とそれを
  承知で愛する?夫が何の驚きもなく描かれている。
「家中にあるたくさんの隠しカメラが、私と斎藤君とのセックスをあらゆる角度から撮影
していました。慶一郎さんはまた、撮影された画像を見て、子供みたいにえーんえーんと
泣くでしょう」
第3話は、斎藤君の彼女の家庭の話、彼女のお兄ちゃんは東大の医学部に
  入るのだが、新興宗教にのめり込んでいく。彼女の父と母、そして兄とその友達、
  彼女と斎藤君のまたもセックスの情景が描かれている。淡々と進む日常の
  生活だ。
第4話は、友達の福田君の話、お父さんが多重債務で自殺して、お母さんが男を
  作って家に帰らず、認知症のおばあさんを抱えて、コンビニでバイトを
  しているが、ゲイの田岡さんに勉強を教えてもらうようになってから、
  僕が勉強できないのは、もしかしたら、僕のせいだけじゃなかったん
  じゃないかと思うようになっていく。

第5話は、斎藤君のお母さんの話。彼女は、助産婦です。これまたふがいない男に
  愛想を尽かして、彼女はひとりで斎藤君を育ててきた。人生に躓きかけた
  斎藤君を信頼して、ぎりぎりまで彼が自分の力で立ち直ることを信じて彼女
  は斎藤君を見守っている。
「泣いた顔に、どろやほこりがついて真っ黒だった。私の顔をじっと見ていた卓巳が、
お母さん、と私を呼んだ。幼いとき、高い熱が出たときのようなぼんやりとした瞳
で言った。
「大きな声で泣いたら、赤んぼうたちが驚くからさ」
「だいじょうぶだよ。ここなら神様しか聞いてないんだから」
 みるみるうちに卓巳の顔が歪んで、口が大きく開いていった。
一瞬、ひゅーと息を吸う音がして、のどが張り裂けるような卓巳の泣き声が山の中に
響きわたった。泣き続ける卓巳のそばを離れて、拝殿の前で私は手を合わせた。、、、
神さまどうか、この子を守ってください」。
母は祈る「神様どうか、この子を守ってください」と。
他のはともかく、第5話は母の心の襞が見えた。

ここの「ふがいない」のは、いったい誰なのだろうか、本を読み進むにつれて
考えさせられた。既婚女性とずぶずぶの関係なった斎藤君か、貧しさを言い訳に
している福田君か、超勉強が出来るのに新興宗教にはまってしまったお兄ちゃん
なのか。それぞれのふがいない僕は、ただ「空を見る」。
ふがいないのは、僕のせいだと疑わない。
でも、そういう社会にしてしまったのは、現在の彼ら?ではない。戦後から大きく
変質した日本、貧しさを物的な豊かさに変え、その経過の中で、人とのつながり
を細くしてしまったのは、自分たちではないのか。
だが、我々の多くは「頑張ってきたのに、今の子供はだらしない」とほざいている。
何時の頃から、1人子が普通になり、団塊の世代の多さだけの歪さに、
何も手を打たずに来た社会。無収入人口(または、無気力?人間の多さ)、
それは高齢者も含むが、が及ぼす影響の大きさが更に人の心の衰退に拍車を駆けていく。
その体現者の一部がここに登場する彼らなのかもしれない。セックスでしか自分を
表現できない、似非的な信仰にしか自分を見出せない、多くの不幸を1人で受け
その蟻地獄の中でしか自分をみいだせない、そんな人たちの世界だ。

2017.05.26

集合的無意識、その不可思議とわたし

集合的無意識という人間の奥底にある共通意識の存在を明確にしたのは、ユングである。
彼の「人間と象徴」「個性化とマンダラ」などを読むと浅学非才ながらその存在に
わずかながらではあるが、納得感が生ずる。身近な例で言えば、絵画や造形作品の
美しさにふれた時の人々の反応ではないのだろうか。10数か国それも一刻の訪問では
あったが、各地の風景、情景に接した時の言い知れないつながりや違和感を感じない
その場の雰囲気なのではないだろうか。ゴッシク建築の中で感じる荘厳さへの想いや
仏像に対峙した時のうける印象や感じの差異なき感覚がその1つかもしれない。

ユングはさらに深く人の心の成り立ちまで追求しているが、才なき私はそこまでは無理だ。
だが、集合的無意識を一番近くでそれを感じるのは、やはり仏像を拝する時の心根である。
そしてそれがわたし的には、仏像に皆が魅かれる根本的な要因ではないか、と勝手に
思ってもいる。火影のなかにわずかに忍び込む光を映し出している仏像を拝している
人々の心根には、その一瞬に古代から流れ来たるイメージが見えない糸を手繰りだし
つなぎとめている。そのそこはかとない温かさと絹衣に包まれる様な思いがまたこの場所に
人々をいざない来たる。白洲正子の「十一面観音巡礼」「かくれ里」などに時代を超えた
人気があるのは、その表れの一つでもある。また、神話がその成否はともかくとしてわたしたち
の心根に強く響き染み込むのもそれなのであろう。更には、芳賀日出夫の「日本の民俗」
等にのっている人々の写真が私の気持ちを揺り動かすのも奥底に眠る何十代もの記憶との共鳴
から生まれるのではないだろうか。

ユングの「個性化とマンダラ」に以下の一文がある。
「元型的人格とその行動を患者の夢、空想、妄想を手掛かりにして注意深く研究してみれば、
それが神話的イメージと広い直接的な関係を持っていることを強く感じさせる。
、、、、、
それらの内容を、すなわちそれらの具体的な現れである空想の素材を調べてみると、そこには
多くの太古的「歴史的」な関連が、すなわち元型的な性質を持ったイメージが見いだされる。
この特有の事実から、心の構造の中でアニマとアニムスが位置している「部位」を推論する
ことが出来る。それらは明らかに無意識の中のかなり深い層、すなわち私が集合的無意識と
名付けた、系統的発生的に言って深い層の中に、生きており機能している。この位置づけに
よってそれらの奇妙な性質の多くが説明される。すなわちそれらは遠い過去に属する
未知の心の生を、かりそめの意識のなかへもたらすのである。それは我々が知らない
祖先の精神であり、祖先の考え方や感じ方、彼らが生や世界や神々や人間を経験した仕方である。
この太古的な層があるあるという事実はおそらく、「前世」からの生まれ変わりや記憶が
信じられていることの基礎である。身体は系統的発生の歴史の一種の博物館であるが、
心も同じである。」
ここで言っている「太古的層」がそうなのでろうが、多分それは時の経過の中で、堆積される
層に違いがあるように集合的無意識の少しづつ変容が加えられるのではないだろうか。
私たちは個人と言う特性を持ちつつも、生きている時代の時代精神、所属している集団の
意識も備えているものであり、そういった普遍的意識が想定できる。時代精神という
普遍的意識は、その時代の前の時代を土台にして成り立っているものであるから、歴史の
すべてが普遍的無意識となり、今の問題だけではなく、過去、しかも私たちが生きていない
過去までも、見ていくことが肝要なのであろう。生きていない過去までもわたしたちの
心の底の底に積み重ねられている。そしてそれは今ある自分をさえ支配している。

ユングがこの集合的無意識の存在に気が付いた1つには、曼荼羅があったという。
曼荼羅は仏教の世界観であり、長く続く人の心に安寧を与えてきたことからも、
その存在は納得される。

同じく、「個性化とマンダラ」には以下のような記述もある。
「祭式用のマンダラが常に特別な様式と、内容に関しては限られた数の典型的なモチーフ
しか示していないのに対して、個人のマンダラはいわば無限といえるほどたくさんの
モチーフやシンボル的表現を利用している。それらを見れば容易に分かるように
それは個人の内的外的世界体験の総体を表現しようとしているか、それとも個人の
根本的な内的中心点を表現しようとしている。その対象は自我ではなく、自己である。
自我は意識の中心にすぎないのに対して、自己は心の全体そのものであり、
意識と無意識の両方を含んでいる。個人のマンダラがきまって明るい半分と暗い半分
とに分割され、それぞれの典型的なシンボルをともなっていることが稀でないのは
まさにそのためである。この種の歴史的な例はヤコブ・ベーメの論文「こころに
ついての40の問い」のなかにあるマンダラである。それは同時にそういう形に
描かれた神の像である。」

この本に載っている様々なマンダラの図は、視点を変えるとこのようにも考えられる、
と言う点で中々に面白い。もっとも、マンダラ図に対するユングの解説をそのまま
受けいるには、抵抗のあるものもあるが。

更には、ユングが集合的無意識を提唱するはるか以前から仏教の考えの中に、
唯識思想という考えがあった。それは、各個人にとっての世界はその個人の表象(イメージ)
に過ぎないと主張し、八種の「識」を仮定(八識説)する。仏経書によれば、
八識説の概念は、まず、視覚や聴覚などの感覚も唯識では識であると考える。
感覚は5つあると考えられ、それぞれ眼識(げんしき、視覚)・耳識(にしき、聴覚)・鼻識
(びしき、嗅覚)・舌識(ぜつしき、味覚)・身識(しんしき、触覚など)と呼ばれる。
これは総称して「前五識」と呼ぶ。その次に意識、つまり自覚的意識が来る。六番目なので
「第六意識」と呼ぶことがあるが同じ意味である。また前五識と意識を合わせて六識
または現行(げんぎょう)という。その下に末那識(まなしき)と呼ばれる潜在意識が
想定されており、寝てもさめても自分に執着し続ける心であるといわれる。熟睡中は
意識の作用は停止するが、その間も末那識は活動し、自己に執着するという。さらに
その下に阿頼耶識(あらやしき)という根本の識があり、この識が前五識・意識・末那識
を生み出し、さらに身体を生み出し、他の識と相互作用して我々が「世界」であると
思っているものも生み出していると考えられている。
この阿頼耶識(あらやしき)が集合的無意識に当たるのであろう。そして、仏教では
阿頼耶識(あらやしき)を如何に自身の行為、行動に活かしていくのかが、課題として
捉えていることが面白い。例えば、「人生で何が一番大切か」と言うことを絶えず
意識している人は少ないが、一瞬一瞬現れる言動は、無意識のうちにそのような価値観
によって支えられ人生を作って行く。しかもそれは、単なる個人レベルではなく、もっと
広い共通意識をベースとしている。
とはいうものの、個人的には、以下のような意識行動が必要なのであろう。

心が変れば態度が変る、態度が変れば行動が変る
行動が変れば習慣が変る、習慣が変れば人格が変る
人格が変れば運命が変る、運命が変れば、人生が変る


更には、ビルやアスファルトなど人工物に覆われ自然と言われるものが覆いかぶされ、
情報のみが効率よく伝わることを使命とした世界が急激に広がる現実では、この共通的
意識、無意識にも厚い蓋がかぶされ、社会は表面的に蓄積された情報で動かされる
人工的世界のみとなっていく。それが真に望ましい社会なのであろうか。

2017.05.19

自然と人とのかかわりとその想いその5

志賀町史という旧志賀町時代にまとめられた立派な本がある。そこにある
「志賀町の四季」からは、この地の自然の豊かさが感じられる。
「本町は木と緑に恵まれた自然景観の美しいまちであり、古代以来、多くの歌人
によって、歌われてきた。

「恵慶集」に旧暦10月に比良を訪れた時に詠んだ9首の歌がある。

比良の山 もみじは夜の間 いかならむ 峰の上風 打ちしきり吹く
人住まず 隣絶えたる 山里に 寝覚めの鹿の 声のみぞする
岸近く 残れる菊は 霜ならで 波をさへこそ しのぐべらなれ
見る人も 沖の荒波 うとけれど わざと馴れいる 鴛(おし)かたつかも 
磯触(いそふり)に さわぐ波だに 高ければ 峰の木の葉も いまは残らじ
唐錦(からにしき) あはなる糸に よりければ 山水にこそ 乱るべらなれ
もみぢゆえ み山ほとりに 宿とりて 夜の嵐に しづ心なし
氷だに まだ山水に むすばねど 比良の高嶺は 雪降りにけり
よどみなく 波路に通ふ 海女(あま)舟は いづこを宿と さして行くらむ

これらの歌は、晩秋から初冬にかけての琵琶湖と比良山地からなる景観の微妙な
季節の移り変わりを、見事に表現している。散っていく紅葉に心を痛めながら
山で鳴く鹿の声、湖岸の菊、波にただよう水鳥や漁をする舟に思いをよせつつ、
比良の山の冠雪から確かな冬の到来をつげている。そして、冬の到来を予感させる
山から吹く強い風により、紅葉が散り終えた事を示唆している。これらの歌が
作られてから焼く1000年の歳月が過ぎているが、現在でも11月頃になると
比良では同じ様な景色が見られる。
このほかに、本町域に関する歌には、「比良の山(比良の高嶺、比良の峰)」
「比良の海」、「比良の浦」「比良の湊」「小松」「小松が崎」「小松の山」
が詠みこまれている。その中で、もっとも多いのが、「比良の山」を題材に
して詠まれた歌である。比良山地は、四季の変化が美しく、とりわけ冬は
「比良の暮雪」「比良おろし」で良く知られている。「比良の山」「比良の
高嶺」を詠んだ代表的な歌を、春夏秋冬に分けて紹介する。

春は、「霞」「花」「桜」が詠まれている。
雪消えぬ 比良の高嶺も 春来れば そことも見えず 霞たなびく
近江路や 真野の浜辺に 駒とめて 比良の高嶺の 花を見るかな
桜咲く 比良の山風 吹くなべに 花のさざ波 寄する湖
 
夏は、「ほととぎす」が詠まれている。
ほととぎす 三津の浜辺に 待つ声を 比良の高嶺に 鳴き過ぎべしや

秋は、「もみじ」と「月」が詠まれている。
ちはやぶる 比良のみ山の もみぢ葉に 木綿(ゆふ)かけわたす 今朝の白雲
もみぢ葉を 比良のおろしの 吹き寄せて 志賀の大曲(おおわだ) 錦浮かべり
真野の浦を 漕ぎ出でて見れば 楽浪(さざなみ)や 比良の高嶺に 月かたぶきぬ

冬には、「雪」「風」が詠まれている。
吹きわたす 比良の吹雪の 寒くとも 日つぎ(天皇)の御狩(みかり)せで止まめや

楽浪や 比良の高嶺に 雪降れば 難波葦毛の 駒並(な)めてけり
楽浪や 比良の山風 早からし 波間に消ゆる 海人の釣舟

このように、比良の山々は、古代の知識人に親しまれ、景勝の地として称賛
されていたのである。」
そして、ここに記述されている自然は今もなお私らの目の前に変わらぬ姿を見せている。

勝原文夫氏は「農の美学」という本の中で、景観を「探勝的景観」と「生活的景観」と
に分けている。その上で、前者は旅行者的審美の態度によって「探勝的風景」となり、
後者は定住者的審美の態度によって「生活的風景」となると考えている。つまり、外か
らやってきた旅行者が風景の美を探ったものが前者であり、農村の中で暮らす生活者が
自分たちのいる風景に美を探り出したのが後者だという。
また、木股知史氏は「<イメージ>の近代日本文学誌」の中でこの勝原氏の図式を「武蔵野」
に援用し、こう述べている。「国木田独歩『武蔵野』に始まる田園風景描写は、旅行者的
審美の態度による生活的景観の発見という性格をもつものであった」。「旅行者的審美
の態度が生活的景観に加わること」は、勝原氏によれば「本来的なもの」ではないが、
しかし木股氏はこれこそ『武蔵野』に見られる現象であると言う。
多分、このことは今の私にも当てはまる。風の人である私にとっては、やはり「外」の視点
からこの地を見らざるを得ない。たかだか20年の歳月では、「生活的景観」として
見ることは難しい。

だから、「ただの風景」として見つめたことがより重要なのかもしれない。そこにこの土地の
良さを感じる強みがある。だが、大正から近代化に伴う自然破壊を言われ続けてきた人の
あくなき破壊は今もなお続いている。
例えば、昭和の初めのこの志賀の地域の生活や人の想い、湖西線開通、小野の大規模な新興住宅地
のローズタウンの誕生、幾多の土地開発など変貌していく湖西の姿を描いたクレソン(藤本恵子)
という本にも
以下のような記述が見られる。
「、、、1人の女の子に、いつもきれいな琵琶湖が見られるから幸せやねと言われたのだ。
ここ数年の、琵琶湖の汚れが極まることへの警告と、琵琶湖を守ろういう熱い盛り上がりの
圏外にいたのだろうか。冬夫とて何一つ具体的な行動に参加しなかったが、だが心情的には
始終、飛沫を浴びてきたし、見つめてきた。2年ほど前から、琵琶湖の病状が出てきた。
黄緑色の水が、春には赤褐色に染まった。プランクトンによる、赤潮の発生だった。
宅地開発と工場建設が進むにしたがって、病状も重くなった。工業化、近代化が湖の浄化機能を
こえたのだ。琵琶湖はたしかに喘いでいる。、、、きれいな琵琶湖なもんか、死に体や。
湖は生きたがってるで。冬夫はじりじりしたまま、うなだれた。」
今見える美しい群青色の琵琶湖は、かって赤く沈澱したため池になったのだ。昭和42年
5月初めての赤潮発生であった。そして、それは多くの琵琶湖を愛する人々によって救われ、
「生活的景観」が守られた。

また、全国的に見ても「日本人の心の歴史」にある朝日新聞の記事の事態があちらこちらで
その無残な姿をさらし始めていたのであろう。
「昭和45年4月13日の朝日新聞は「春は来た、どこに来た」という題の大きな社説
を載せた。今その要点を拾って写す。
4月、うららかな日差しをうけて日本がこよなく美しく装われるはずの季節である。
然し現実は、陽春という長閑な語感からは遠い。都会の街路樹には、もはや芽を吹く
力もないものも少なくない。春がすみのたなびく山々にも。そのかみの面影は
見られない。無造作に山腹をえぐり取って走る観光道路は、ときにその沿道の
林までも枯らしてしまう。富士山や奈良の大台ケ原の有料道路がなどがそれである。
さまざまな要素が絡み合う中で、自然は急速に破壊されつつある。われわれも、
いつかそれに慣れ、半ば不感症になっている。社会の進歩とか地域開発とかためには、
それも仕方がないのではないか、といった言い方もされる。だが、ほんとうにそうだろうか。
群馬県安中市の亜鉛工場の裏手の丘には、枯れた桑畑、桐の大木、気まぐれに生えた
都しか思えない不揃いの麦、といった風景が広がる。工場で植えた防毒林さえ、
空しく枯れてしまっている。カドミウムの粉塵を含むガスが春の訪れを拒否している
のだ。天日のために暗いのは川崎、四日市だけではない。メガポリスとは青空の
ない街のことかと聞きたくなる。そこでは春風さえもが、鼻を刺す悪臭を運んでくる。
儲かりさえすれば、周りに迷惑をかけても、という企業エゴイズムを指弾する
ことも、もとより必要だ。しかし、公害をもたらす原因となるのはそれだけではない。
最も根本的には、自然に対するものの考え方が間違っているのである。
、、、、
経済成長をたたえ、国民総生産の数字を誇るのもよい。だが、其のGNPから失われた
自然を引き算してみれば、われわれの貸借対照表は、かなり違ったものになるのではないか。
自然の破壊は、そのまま人間の心情の崩壊につながる。「ふるさとのやまはありがたきかな」
とは、人間だれしもの心であろう。その故郷の自然が、はげ山とどぶ川に変わり果てれば、
われわれの心は、その一番深い所で、癒しがたく傷つく。そのような環境で育つ
われわれの子孫の心は貧しく、また、とげとげしいものとなるに違いない。
おそらく日本は、あまりにもゆたかな自然に恵まれすぎたのかもしれない。
われわれはそれに甘えて、自然に暴虐の限りを尽くしてきた。だがそれはもう許されない。
日本の自然は、その人情とともに、まさに荒れ果てようとしているからである。、、、」

ほんの一瞬の出来事のようなスペインやブラジルなどの他国との交わりの中で、自然の様々な
変容に対しての日本人の在り方の違いを感じた。そして、それが文化や生活の違いを形作っている
ということも体感できた。古来よりの日本人の基盤となってきた自然をできる限り後世へ
つないでいきたい、昨今そんな思いが強い。

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