人生

2018.01.14

不思議な世界その4

しかし、その動きは突然止まる。
一瞬の静寂が四方を取り巻くが、それも束の間にまた動き出す。初めはその急激な動と静に
その場に立ち尽くしたままであったが、やがてそれがい体のリズムを持っていることで安心した。
だが、それも一刻のことで赤く照り映える光の中で先端の球状が崩れて網目状の袋のような形
になっていく。小さな粒子がその袋に集まり透明な袋、それはまるで薄透明のゴムの袋が
膨らんだ形で、となっていく。その袋が伸び切った管の彼方こちらで作られていく。まるで、
子を宿した母の如き優しさが周囲の空気を柔らかくしていく。彼らの子供が胞子となってさらに
その命を次へと受けつなぐための行為を私はそのただ中で見ているのだ。

黄色や灰色に彩られたカタホコリやウリホコリが周囲の草の幹を這い上がり始めるのが見えた。
自分たちの子供たちを風に乗せて如何にと奥へ広げるかを考えているようでもある。
だが、考えてみると彼らは生物ではない。この知恵は何処から来ているのだ、目まぐるしく
変化する彼らの動きは私に混乱と驚きを与えていくばかりだ。
赤い世界がその色を失いつつある中で、私はしばらく休むことにした。
これ以上の変化に身体も頭も順応できなくなっていた。

同じ背丈の茸の群生があった、不思議な気分だ。その中で横になると茶褐色の笠の下で
寝ているような気分になった。小さな胞子が銀粉を巻くように薄暗がりの僅かな光に
映えて舞っている。それは雀たちが何かの拍子に一斉に秋の刈田の上を群れ飛びまわる
雲蝦の如き姿にも似ていた。わずかの空気の流れに反応して時に渦を巻き、また広く網
のように拡がり、更に一筋の黒糸となって天に向かって伸びていく、様々な形を成して
やがて地上へと煌めきを帯びて舞い落ちてきた。その中でわたしは深く沈んだ。

暗い闇が私を包み、さらに深い眠りの世界へと誘っていった。生暖かな感触が私を包んでいた。
見れば、黄色の網のような群れが周囲の茸を包み始めていた。彼らはあるものは
キノコの太い幹をよじ登り、笠まで達するとそれもまた黄色の網で包んでいく。
私は彼らに嫌われたのであろう。私を避けるように黄色の世界が茸の林を覆い始めていた。
暫くすると茸は融けはじめ、ぶつぶつといった音を立てながら崩れ平板な塊になった。
カタホコリが摂食し、その成長を早めている。思わず私は身震いをした。
もし彼らの好みが私に向けられていれば、私も同じように黄色の網となり、やがて死骸と
なってこの地の一部になっていたかもしれない。既に先ほど見た茸の群生は
跡形もなく消え去り、黄色の平板な世界に変容していた。

2018.01.04

不思議な世界その3

しかし、目の前で起きていることを見た途端、その考えに疑問を持たざるを得なかった。
石灰化した骨が見えた。頭蓋骨の大きさから考えると鼠のようだ。でも、今の私には
象ほどの大きさに見える。その白く映えた塊に微妙な動きを見せる粘着のあるものが
蠢いている。単に自分たちを増殖させるだけでなく、動物の遺体を弔う菌もいると聞いた。
トムライカビは動物遺体の跡やその周辺の土壌にいる。彼らは、霊媒を受けた神の
担い手のような厳かな姿をしており、立ち上がった菌糸の先端が膨らみ、不規則に
空中で揺れ、時に白く輝く。その姿は、まるでその生き物の死を弔うかのように萌えたち
祈っているように見えた。しばし私は茫然とそこに立ったままだった。

その姿は神に祈りを捧げ、その魂を天に召すかのように僅かに射しこむ光に向かう。
思わず私も額ずき彼らの所作に合し、合掌した。少し暗闇が迫ってきた中を当てもなく
歩いていると、不可思議なものに出会った。そこには、同じような3つの菌筋が石の横、
枯葉の下、更には盛り上がった赤色の土に沿って奥へと伸びている。そのどれもが、
先へ先へと己が触手を伸ばすかのように動いていた。私は彼らが何を目指しているのか、
興味を持ちじっと次の行動を見守った。やがてまず、石を避けようと動いていた触手が
徐々にその動きを緩め止まってしまった。その間に、残りの2つは少し速度を速め
ながらさらに奥へと進んでいく。2つはまるで競争をするかのように互いを意識し、
その幹のような紫の管を赤地に這わせ、またまだら模様に変色しつつある葉の間を
縫うように伸ばしていくのだ。私は分かった、彼らの目指すものが少し先にある虫の
死骸であることを。

彼らがそれをどう見つけ、餌として見分けているのかは分からないが、2つがそこに行きつく
ための果敢なる努力をしていることがその動きの活発さでもわかった。
だが、競争の結果は明瞭であった。葉の下を縫うように進んでいた1筋は少しづつその
餌が遠のいていくのをしたのであろうか。これもまた徐々にその速度が落ちて、やがて
その動きを止めた。

不思議にも思える光景だ。まるで餌が見えるような動きと相手の行動の予測ができる
ような動きである。彼らには餌を見分ける能力とそれに早くいけるかの判断力があるの
だろうか。知性ある生物なのだろうか。更には、先ほどまで活動していた残りの2本の管
は急速にやせ細って消えてしまった。僅かに紫色の痕跡がその辿った跡に微かな粒子を
残しているだけだ。つまり彼らは餌への最短な道筋を見つけられるのだろう。
私はただ唖然と行きついた太い紫の管を見つめていた。そこでまた鼠の死骸をきれいな
白骨にしてくれるのであろう。

まわりは黒く沈み始めた。やがての夕刻となる。青く澄み透った空が地平線に近い所から
茜色に染まって青が茜の広がりに徐々に蝕まれていくとそれらの色が融け合い、薄墨
となってその変容を助長していく。私の周りも、透明な白く輝く世界が赤色の塗装で
塗り込められるかのように薄く輝く赤の世界から濃密な赤へと変わり行く。
そして、その赤い世界は彼らをも変身させていく。先ほどまでゆっくりと時を刻んでいた
紫の管や灰色の細管は急激な変化を見せはじめる。透き通った管を流れていた粒状物質は
その速度を一挙に早めていく。
それは人の急激な運動を起こした時の血液の流れにも似て、ドクンドクンという心臓の高まり
の音を聞くようでもあった。

2017.12.23

不思議な世界その2

そんな私の思惑とは別に目の前に出現したアメーバはすごい勢いで接合し、更に核分裂を起こし、
徐々にその姿を整えていった。糸状の変形体がまた隣の変形体に絡みつき、大きな糸状の
塊になっていく。その横では、それらが小さな頭を持つ子ダコの姿形に変身を始めていた。
あるものは黄色の光を帯びて朽木のの周りを徐々に黄色へと変身させている。私の足元では、
子ダコがさらに寄り集まって積み重なりあいながら白い球形となっていく。
これは多分、マンジュウドロホコリという粘菌だ。

斜めに射しこんでくる光を追うかのように日に映えたその輪には、茶色に細かく切り刻まれた
上に白い滴が点滅する花園が出来ていた。クビナガホコリというそうだが、確かにそうだ。
思わずそれに手を差し伸べると微妙な震えを見せた。生物ではないはずだが、その仕草は
無垢の少女の趣を持っている。スポットライトを浴びてその光の強さと自身の裸身を
さらしているという恥辱の想いが私の心を痛める。それは生物、無生物を超えた感情でもあった。
視覚対象の如何に関わらず、私自身が過去に感じた、例えば恋人の姿であったり、想いを
寄せていた人の無理強いな姿態への哀切な、想いでもあった。

この世界に入り込んで数か月、身体に変調を感じ始めていた。時間の感覚が徐々に長く
なっていく。もっとも、時間間隔は今のような分刻みの社会的な動きに適合するために作られた
ものであり、絶対的な時間は存在しない。ある人の一刻と他の人の一刻は同じではない。
時間はその個体が持つ独自の行動の早さであるとともに、相対的な社会的なつながりの
手段でもある。
私の前では、ヤリミダレホコリが褐色の太い糸を何重にも重ねながら徐々に下へと
伸ばしている。それはちょうど蕎麦をゆで上げざるに入れる様にも似ている。
やがて彼らは地上に辿りつくと次の植生する樹々へと向かい始めた。既に目の前は、
褐色のカーテンが数メートルにわたって、私の歩む先を拒むかのように覆っている。
触ってみるとその先端がぽとりと落ちた。意外とやわな奴と思ったが、その切れ端は
地面をミミズのように這い初めやがて小さな枝にまとわりついた。
その生命力、根性は確かなようだ。わずかな空気の流れが頬をかすめていく。
その微妙な動きに合すように青い球状に白い脚が一本あるタマジクホコリは地を這うような形
でゆっくりと流れすぎる。ふわりと浮き上がったままで球状の頭を少し前かがみにして
小さな流れを起こしている。

ふと、彼らはモノなのだろうか、私の知らない手段で生きている何かの生物なのであろうか、
大いなる疑問がわいてくる。生きたシステムでは様々な機能を発揮し、取り巻く環境を
センシングして、情報を処理し、移動したり、エネルギーを代謝したり、生殖したり、恒常性
を維持したり、身体を形作り感染症にに防御していくはずだ。
また、粘菌は様々な化学物質に反応するという。これは「味覚」を持っているともいえる。
さらには、臭覚、視覚、触角などの機能も持つ。まるでこの地を天上から見下ろし、
支配しているような巨大な欅の木があった。そしてその根元は金色のムシホコリが
何重もの枝分かれを起こしながら人間の神経体のような広がりを更に進めている。
彼らの拡散する速さは意外と早い。もし、彼らが私に興味を持ち、まとわりついたら、
思わず数歩後ろに下がって彼らの様子を見る。

粘菌の変形体は巨大なアメーバ様生物で入り組んだ形態や構造がそれほど発達
していないが、近くでその動く音、その吐く息、動く様を見ていると、「生きモノ」と「物
」との境目にいるというが、「生きモノ」としか思えない。

2017.12.17

不可思議な世界

彼が彼らと初めて会ったのは、雑木林の中、もう少し具体的言うと、朽ちたクヌギのゴツゴツとした
木肌の上に見たピンク色が鮮やかな楕円形の卵と思われるものだった。それが、灰色に変わりつつ
ある粗い表層をピンク色に変貌させていた。よく見れば、それらの近くには、薄紫の小さな粒子が
お互いを寄せ合うような姿形でびっしりとへばりつくように幹の半分を支配していた。
「粘菌」との出会いだ。

キノコ状、網目状、昆虫の卵状、蜂の巣状、その形はまさに千差万別であり、その色も赤、黄色、
紫、白色等多様な彩で見ているだけでも楽しさが増す。
それ以来、彼の姿を雑木林や花壇、公園で見かけることが多くなった。
たしかにお望みのものはあたらこちらにいた。-木の上、-落ち葉の上や裏、-薮の下の腐植樹皮の裏 、
樹皮を剥がした内皮の上などその小さな自分たちの世界を守っていた。

ある朝、わたしが目を覚ますとそこには不可思議な世界が拡がっていた。
朽ちた大きなクヌギが幹に黒々とした大きな穴を作り、暗黒の世界が目の前にぽっかりと口を開けて
私を招き入れようとしている。そんな様が手に取れた。私はそのまま、その穴に足を入れたが、
すぐにやめた。誰か意地の悪いのが、私の行動を試しているように思った。上を見上げれば、
遥か上、天空と呼びそうな空が青白く見える。周りのクヌギの若い木や杉の綺麗に並び立った木々
が一直線に上へと伸び、それがその青い空に丸い空間を形作っていた。

数歩後ずさりをして振り返れば、積み重なった枯葉の間に白い毛先が無数にある球形の綿毛に
似たものが見える。さらに、小片の幹の木皮が枯葉と乾いた土を覆う様に無数な散らばりを見せ、
そのどの木片からも明太子をごく小さくしたような人肌色の楕円球状のモノが直立に立ち並んでいる。
よくよくそれを見れば、昨夜私がその色艶や形に興味をもった「コウツボホコリ」という粘菌の一種
であることが分かった。粘菌もその種類は多様で、木の上にいるもの、死んだ昆虫などの身体に
生息するもの、じめじめした湿気の多い場所で育つものなどが炒ろと聞いた。
今のここには、枯葉など腐敗させ、成長していく粘菌たちの住家直であろう。小さな赤松の倒木の
上には黄色のムシホコリが網目をかけたように倒木を包み込んでいる。

一瞬それが、ピクリと動き網全体が拡がったように見えたが、多分、それは錯覚であろう。
彼らは一日に数ミリしか動かないのだから。すでに茶褐色と白く浮き出たまだら模様の枯葉を
くぐったり飛び乗ったりして先へと進む。なめこのようなヒョウタンケホコリの群生が木漏れ日の中
に茶色の艶のある姿を見せているが、周囲にはねばねの汁がしみ出し、歩くのは少し難しそうなので、
回り道をする。しかし、粘菌はこの地表の凡てにあるようで、特に小さなキノコ状のウルワシモジホコリ、
コシアカモジホコリ、キノウエモジホコリ、チョウチンホコリ、クモノスホコリ、ムラサキアミホコリなど
が行く手を阻むかのように林立している。色は概ね白系統が多いが、中にはウルワシモジホコリ
のように紫色が強い印象的なものもある。

空気の流れを感じた。人が感じるほどの強さはないが、わたしの身体を撫で、かびた匂い、
甘酸っぱい匂い、それらが入り混じった何とも形容しようのないものがすり抜けていく。
足元に小さな無数の影が私を抜き去って行く。それは朝霧の極めて小さな粒子に見えたが、
水滴のような透明さは持っておらず、あるところでは濃密な膜となって周囲を閉じ込め、別な場所では、
薄く拡散した粒子が荒く漂い、木綿の生地の様となって若い細木を包み込んでいる。
その変わり身の早さは尋常でなく、一刻も休むことなく、私の上に降り注いだかと思うと、
あっという間に吹き上がり木立の間を巧みに抜けながら蒼く光る中天の彼方へと消えた。
掌に残ったのは、柔らかな膜におおわれた円筒形のような灰色の胞子であった。

よく見れば、足元やすでに黒褐色となった枯葉の上に数層の厚みとなっている。
周囲は、灰色と褐色の土、枯葉の黒い色がまだら模様を作り出していた。だが、その模様も
時を経るに連れて、灰色のベールがその広がりを急速に強めている。だが、そのベールも
すぐに動き始め、表面が崩れ始め、ベールの破れたところから糸状のひげがまっすぐに
伸びていく。その速さは植物の若芽の伸長に似て見ていても気持ちの良いものだ。
黒い染みのような無様なところからゆらりゆらりと白く光る糸が暗さの増した林の中わずかの
光を拾いその存在を誇示するかのように伸びる。私はその不思議な美しさに思わず見とれていた。
新しい命?の誕生ななのでろうか。しかし、学者は粘菌は生物ではないという。単なる物質が
集まったシステムなのだ。

2017.12.04

星をつなぎ、昔話を聞く子供たち

雨雷の娘星は薬草を見たてる力が父親を優るほどであったが、やはり夢多き少女でもあった。
仲の良い香住や太郎に彼女が作った話を聞かせた。
「あの空にも流れがあってね。昼間はお日様の光が強くて見えないけど、その力が弱くなる夜
になると、小さな砂の粒のような星たちが動いているのがよく見えるんだ。空は幾重もの星の
小川や大きな川が
里の畑に流れる湧き水の流れのように交叉したり、太い流れに
混ざったりしながらやがて滝になって空の端から新しい世界に降り注いでいるんだ。時には、
劔の御山にも降り注ぎ大山積神の喉も潤をしているんだよ
たまに幾つもの小さな光が空を流れるのは、その滝から落ちる星の雫なんだ」。
「でも、あの赤い光や青白く光る星はほとんど動いていないけど」
「あの星は特別なんだ。大昔、大きな鷲がいて、他のどんな鳥よりも高く速く飛べたんだが、
ある時仲間に言われた。お前がそれほど自慢するのなら、あの大きく輝く星まで行けるのか」
と言われた。皆からそれを言われて彼もすぐさま夜空へと飛び立った。途中、強い雨に襲われ、
先が見えなくなるほどの雲を通り抜け、すでに彼はただ1人、暗闇を飛んだ。彼にとっては
今飛んでいるのか、地上へと落ちていくのかさえ分からんほどのところにいたが、やがて翼
の先が燃え立つような赤色に変わり、それが体全体を覆ったんだ。
今でも、彼は赤く光ってあそこにいるんだ。少し先に光る青白く光っているのは、彼のため
にある星の池なんだ。小川や大河から漏れた星たちがあそこに集まり、小さな池となって
地上を照らしているんだ」
「でも、なぜ、星の色が色々とあるの。あれは黄色だし、こっちのは白いよ」
星は少し戸惑った。自分でも日頃感じていたことでもあったから。
「それはな、小川を流れ弾かれる水滴と同じことだ。勢いよく水から飛び出した雫は
虹色に輝いているだろう。あれと同じだよ。ある時は黄色が強く、時折、蒼く光るだろう」
いつの間にか雨雷が空を見上げながら立っていた。
「そうか、それで色が違うのか」坊主頭の子が納得したように言った。

少し外れた子供たちの輪には東雲のお婆が昔よく聞いた「ういすの里」の昔話を
はるか昔の自分を思い出すかのように8人ほどの子供に話をしている。
「むかし村人が山で迷ったと。こっちが里への道かと思ってずんずん行くと、さっき
見たところへまたもどってしまう。そんならこっちかと別の道へ行っても、やっぱり
同じところへもどってしまう。そうやって同じところをぐるぐるまわっていたら、
やがて立派な御殿の前にたどりついたんだと。
こんな山奥に一体どなたが住んでおるんかのう。まさか魔性ものじゃなかろうか。
男はおっかない気持ちになったけど、帰る道もわからずもう日も暮れた。せめて一晩
でも泊めてもらおうと、戸口で「こんばんは。どなたかおられますか」と声を
かけたんだと。すると中から美しい娘があらわれて、
「まあ、道に迷われたのですか。それはお困りでしょう。ささ、中へお入りなさい」
って、親切にむかえてくれて、お菓子だのお餅だの、みたこともないような御馳走でもてなして
くれるんだと。
次の日、男がお礼をいって帰ろうとすると、娘が言うんだと。「もう一日ここにいてくださいませぬか。わたしはこれから用足しに出ますが、留守番をしていてほしいのです。
むずかしいことはありません。ただ遊んでいてくれればいいのですから。でも奥の座敷にある箪笥(たんす)だけは開けないでください」
娘はそう言って、どこかへ出かけてしまったんだと。
ひとり取り残された男は、最初のうちはおとなしくしておったが、見るなと言われると
どうしても見たくなって箪笥のある奥の座敷へ行ってみたんだと。
そこには桐の箪笥がひと竿あってな。引き出しが十二もある立派な箪笥だったんだと。
男は我慢できなくなって一番上の引き出しから、そうっと開けてみたんだと。
すると、引き出しの中には小指ほどの背丈の人がたくさん住んでいて、ちょうど正月のお祝いを
しているんだと。松飾りをして、鏡餅を飾って、子供たちは外で凧揚げやコマ回しをして遊んでいる。
二番目の引き出しをあけてみると、中にはやっぱり小さな人が住んでいて、ちょうど節分の
豆まきをしているんだと。
三番目はおひなさま。
四番目は桜の季節で、小さなお釈迦様に甘茶をかけて花祭りの祝いをしているんだと。
五番目は端午の節句。みんなで粽(ちまき)を食べている。
六番目は小さい人たちが総出で田植えをしておったと。
七番目は七夕さま。
八番目はお盆でお墓参り。
九番目はお月見。
十番目はみんなで稲刈りをしてる。
十一番目は七五三で、子供たちが晴れ着をきてお参りしてるんだと。
十二番目は大晦日で、みんなして家の掃除をしてるんだと。
その時、ホーホケキョとうぐいすの鳴く声がして、はっと我にかえってみると、
箪笥もお座敷も、立派な御殿もすっかり消えて、山の中にぽつんと取り残されて
いたんだとさ」
「その男って誰だったのさ」
「それは、な、わしの旦那や。わは、ははは」
東雲のお婆はその皺だらけの顔を一層皺だらけにして1人悦んでいる。
星もまた見えない天の川の流れに乗り、川下へと流れ下る自分を想像していた。
流れの先には橙色や真っ青な青色、更には白く光る川面が彼女の眼の間で
躍っている。その躍る光の間には十字の光を周囲に放っている大きな星が川を二分している。
果てしない暗闇に2筋となった天の川はさらに勢いを増して彼女をどこか遠くへと
連れて行くようでもあった。

2017.11.27

取り残される老人


焼き鳥の匂いが酔いをさらに深め、酒の深さが増せば、焼き鳥にかぶりつく。
そんな雑多な店の奥でこれも同様に白髪の多い頭を左右に振ったり、禿げた
それを撫でまわす五人の男たちがいた。いずれも六十代後半であろうか、
真っ赤な顔に浮き立つ汗を拭くもの、すでに酔いしれて舟をこぎ始まったもの、
コップを片手に持って盛んに政治談議をするもの、様々な想いがその場には
渦巻いている。紫煙が天井を伝い彼らの脇に控えながら身体の波動に合わせている。
毎月行われている同期の会の面々が相も変わらず日頃の鬱憤をさらけ出していた。
それは徒然草にもある
日暮れ、塗みち遠し。吾が生既に蹉陀たり。諸縁を放下すべき時なり
「俺の人生は大体ケリがついた。これからはもう世間のために生きるのは止めて、
自分一個のために生きよう」と考える。
の世界でもあった。彼らが「終わった人」としてライフサイクルの最後のステージに
身を置いて十年近くとなった。しかし、彼らの周囲はまだ活気のあった1980、
90年代のままに見えていた。深夜近くまで仕事をこなし、安酒と腹の足しに
なりそうな料理さえ出てくれば、満足な店で上司や会社の不満を言い合い、
翌日にはまた忠実な仕事人間として現場に立って、俺が日本の成長を支えているんだ、
という極めて曖昧な自負と自信に酔っていた時代であった。

「Kは癌だってな。この前病院に行ったが、痩せて別人に見えたよ」
Cは天井に目を向け、僅かに残った白い薄毛を右手で撫でている。Cを見ながら
退職の挨拶に来た時のCの黒く艶のある髪をオールバックにした精悍な顔が
昨日のように思い出されていた。だが、Aの姿も歴然とした老人のそれであった。
他の四人も含め、失われたのは時間ではなくその肉体も失われつつあった。
「まあ、俺たちもああなるかもしれないね。M、お前は太り過ぎだ。ちょっとは痩せろよ。
まあ、かみさんもいないし、適当に食べてるからそうなるんだ」
「近頃は、朝鏡を見るのが怖いね。鏡の中にひどくやつれた年寄りがいると思ったら、俺
なんだからな。髪を梳いていると櫛に細い白髪が何本も絡みついてくるんだ。
寂しいね」Bは入り口近くで何度となく乾杯を繰り返している中年グループに目を預けた。
眼尻が下がりやや色を失った黒目には、非難の色より懐かしさと羨ましさが浮かんでいる。
会うたびに出てくる話題は同じだ。身体と死に関することだけだ。
だが、当人たちはまだ死神ははるか遠くで見ていだけ思っている。「生より死に移ると
心うるは、これあやまり也」Dの頭の端にそんな言葉がテレビに流れるテロップのように
右から左へと流れた。

突然、その沈鬱な空気を小さなベルの音が切り裂いた。どこかで聞いた音楽であったが、
それも遠い思い出の一つとしてすぐに忘れ去られた。
Aが慌てて、スマホを取り出した。「分かった。もうそろそろ帰るよ」電話は切れた。
「お前はスマホか」皆がその黒く光る携帯電話に目を向けた。
「最近はうちの奴もスマホをパソコン代わりに使ってるよ。今のおばさんはメールや
LINEで連絡しているしな。何か知りたいことがあるとインターネットですぐにスマホから
情報を見てるぜ」「俺なんか携帯さえ持っていないよ。自慢とは言えないけどさ」
「それは遅れすぎだよ。何かあったら、どうする気だ。もっとも俺も奥さんがしつこくいう
もんだから持ってるけどさ。結構使うと便利だね」

Bは彼らの話を聞きながら八十年代のあの日のことを思い起こしていた。初めてパーソナル
コンピュータのソフト開発を言われた日であった。思いのほか大きな箱にチカチカと光る
画面が彼に対峙していた。あれから三十年経ち、何かの雑誌には今眼の前にあるスマホ
の方がその機能ははるかに高いと書いてあった。頑丈な四角い箱に小さな画面があり、
本体と合わせるとかなり重たかったことだけが手の触感として残っていた。
それがB4の本程度となり、スマホとなってあらゆる人と会話ができる時代なのだ。
しかし、それらが織りなす情報の波の中に俺たちはいない。明日もまた新聞を読み、
テレビから流れ出てくる情報に接し、その後は、、、、、、、、、何もない。
そして次の日も、同じ繰り返しの日々だ。隠遁生活と呼ぶにはあまりにも寂しい。
Bが突然顔を上げた。「またか」そんな想いが他の脳裏をかすめたのであろう。
Bが冷め始めるとしつこく議論を始める。もっとも、その多くは新聞記事か雑誌で読み知った
ことを聞いてくるのだが、老いを感じ始めている人間にとってどうでもよい内容でもあった。
今日の犠牲者はBであった。彼の夢想ただなかにいた眼がたまたま彼の顔の前にあった。

「少し前に読んだ新聞記事に(フラット化する世界)というのがあったけど、調べようとしていた
けど今思い出したんだ。それってなんだ」
それはトーマス・フリードマンが書いた本であった。題名につられて買ったが、今は埃が
何層も重なっているだろう。
「まあ、俺もよくわからないけど、インターネットの拡大で個人も企業も情報が素早く手に入る
から経済や人の行動が一体化していくような世界になるという意味だと思うけど」
他の三人は黙ってBの言葉に注意を払った。彼らにはすでに世界という言葉は災害とか
テロとか何か耳目の引く時以外すり抜けていく言葉となっていた。
だが、実は見えない敵が静かに迫るがごとく彼の生活にも大きな制約や利益を与えていた。
Bは腑に落ちないと言った顔をし、そこにあった焼酎の残りを一気に飲み干した。
喉と頭に詰まった何か分からぬものを廃絶するかのように。

2017.11.20

2つの好きな絵

男が好きな絵は二つあった。それは好きだというより心のどこかの襞に触れあってくる、そんな感じがするからだ。一つは、長谷川等伯の「松林図屏風」である。三十歳ごろそれをガラス越しに魅入った。それが国宝だからというので、屏風の前に来た。桐の中に茫洋たる松の立ち姿を描いた水墨画であった。
その数か月前に西洋近代美術館の館長から聞いた光の三原色を基本とする印象派のどれとも違う絵がそこにあった、違うと思ったのは、色彩とモノトーンの違いではなかった。しかし、その何か違うモノが判然とせずそのまま立ち去った。あれから二十年ほど経ったのであろうか、別な展示会でその絵と出会った。正面に立ったとき、その絵にゆらめき動く人を見た。死地の世界だ、と思った。

更紗の上を笑いさざめくようなざわつきから少し離れたカウンターに二人はいた。小さなその空間からは遠く霞んで大阪港の光が鈍く褪せたように大小の船影を浮かび上がらせている。カウンターに他の客はいない。彼女のグラスの一振りから球形の氷の音がからりと乾いた音をはぜた。
「松林図って観たことはないわ。水墨画は何となく年寄りじみてて合わないし」
いとも簡単に私の想いは、消し飛ばされた。
「見るんなら、やっぱし、ゴーギャンヤゴッホの色彩豊かな熱情が湧き出す絵が一番よ。見ているだけで心が燃え上がってくるしさ。モノクロの絵は小難しそうで好きになれない」
さらなる追撃に私は黙って琥珀のそれを飲み干した。喉越しに痛烈な刺激が
走り仄かに立ち上る匂いに酔いのまわりを意識した。

そして再び同じ位置に私は立っていた。しばらくは正面から対峙する形で過ごす。光の加減を見ながら左右へまわる。やはり霞んだ中に浮かぶのは人影だ。松ではない。作者の想いは何処にあるのだ、そんな考えが眼前の絵と一緒になって私の脳裏に二重の不可思議を与える。絵の印象も歳とともに変化する。
既に人生のラストステージとなった五十代後半と壮年の頑張りに満ち満ちた
三十代では違う。三十代のあの時に見た「松林図」は人生への不安と希望であり、明け行く朝の霧と満ち始める前の朝光の情景であろう。
だが、今見ている「松林図」は、すでに力を出し尽くした陽の中に暮れ行こう
とする松に立ち込める冷気の群れなのかもしれない。その先には、やがて赤く染まり次第に暗闇となる世界がある。さらに、かって死地の世界と見えたのは己自身だった。横を同年配の小柄な男が通り過ぎた。それは風だった。何かの影のごとく一つの空気の流れを作っていった。彼もまたこの絵に同様の匂いを嗅いだのではないか。少し肩を落とし、ちらりと視線を向けたが、静かに去って行った。気が付くと私と並び立ってアップの髪形に後ろ毛が白く伸びた首に巻き付く感じの女性が同じように絵に見入っている。ゆるく裾が拡がったスカートがわずかに揺れてる。小柄な体が黒色で包まれているからか、細身の体がこの絵によく似合う。出し抜けと思ったが、彼女に声をかけた。
「この絵をどう思いますか?」
僅かに右肩を落とすような仕草でわたしを見た。一瞬、驚きの気配が顔をすぎていくが、また目を絵に戻しながら言った。
「どうもこの絵と私の心が共鳴しないので何故かなと」
「共鳴か」予想もつかない言葉にこちらが慌てた。絵は感じるものだが、それは一方的なこちらの想いだ。作者の想いもあるだろうが、絵との会話は相互のつながりだ。再び、二つの並び立った「松林図屏風」を左から右へと細部を見ていく。左の屏風の右は山から緩やかな三角形をえがく形で下の斜めに傷のように走る線とほぼ繋がり、ちょうど対辺延長上の両端に落款が押されている。右側には黒味を帯びた松が光背の薄く映える松と合わせ力強さをもって描かれている。一番右にあるやや傾斜を持った松との間の空間がこの屏風全体の調和を取っている。左右の屏風とも太く荒削りの趣を持った松は一つであり、微妙な安定感を与えている。使われている紙は通常の屏風絵に使われる頑丈な雁皮紙ではなく、きめの荒く不純物が混じった薄手の和紙を用いているようだ。墨は無造作に撥ねた痕跡が画中のあちこちにあり、枝先や根元には紙を垂直に立てて描いたためであろう墨溜りができている。しかしその反面、下絵では普通使わないであろう最高級の墨が使われているようだ。
物事に近接するほど全体の持つ意味を見失うことがよくあるが、この屏風も同じだな、と彼は思った。作者の真意は分からないが、このような森羅万象のモノに対峙するには、自身の持つ感受性が問われる。数歩ほど後ろに下がる。横の女性はそれを待っていたかのように滑るように動き、ゆらゆら揺れる人波の中に消えた。ガラス越しに照明を浴び、白く浮かんだ二つの屏風が浮きだっている。それはやはり死地の無言の世界であった。老いを感じ始めた男の心根には、朝明けの情景は寄せてこなかった。
会場の外は透き通った青さが満ちていた。日がうららかに射して、山水を模した庭に輝きを与えている。苔むした大岩が数層に積み上げられ、数本の松が配されている。大岩の中ほどから小さな滝が何筋もの水の流れを合わせ小さな飛沫を発している。
ふと彼に葛飾北斎の「下野黒髪山きりふりの滝」が浮かぶ。彼の好きなもう一つの絵だ。北斎の浮世絵は総じて好きだが、水や風の見えない動きを間近に見せる絵は歳を経ても同じ強さを彼に与えてきた。

2017.11.14

西近江路(旧志賀町)をゆく その序

今、私はJR湖西線小野駅の前に立っている。ここも30年ほど前までは、琵琶湖を
見下ろせる緩やかな丘陵地帯であったのであろう。だが、今はその痕跡すら残っていない。
大きなロータリーが2つあり、そこから見えるのは、70、80坪の家並みが続いたいる。
その合間を縫うような形で小山が2つほど見える。古代には、これから向かう北国海道
と呼ばれる京都と敦賀を結ぶ道があった。そして、この地を支配していた和邇部氏や
小野氏の古墳が琵琶湖を望むような形で多く作られた。更には、小野氏の隆盛を感じさせる
幾つかの神社が今も健在である。遠く望む比良の一千メートル級の山並みは秋の訪れを
松、杉の常緑の中に黄色味のブナやオオナラの広葉樹とが微妙な彩となりがゴブラン織り
のような姿を見せはじめるのもこのころだ。
しかし、約30年以上前に開発が進められたこの周辺は4600戸ほどの街並みとなり、
かっての自然はすべて脇に押しやれら、僅かな古墳周辺の雑木林や湖辺に細長く残る
葦原のみのどこにでもある住宅地となった。

西近江路は、大津から敦賀までの街道を示すが、大陸と京都を結ぶ重要な道でもあり、
古代から整備されていた。また旧志賀町は、その街道の一部でもあり、小野から北小松
までの情景、生活風景には、幸いというべきか、まだその残り香が各地区の片隅や伝統行事
という形で散在し、地区の人々に守られ慈しまれている。それはちょっと奥深い小さな神社を
流れる湧水であったり、語り告げられた説話として時に表現されたり、苔むした石垣
の存在であったりもする。歴史の積み重ねの中で捨て去られたり、埋没したものもあろうが、
小野から南方面のいわゆる開発され尽くした地域では、まだ密やかな存在を受け継いでいる
ものさえもが、その多くは時の中、「人間の幸せ」という名分の中に消し去られつつもある。

しかし、北小松までの比良山系と琵琶湖に挟まれたこの地方をぶらぶらと足に任せて歩く
小さな紀行から、まだまだ小さな見どころ、隠れた地域で語り継がれた来たもの、数百年の
時にもかかわらず残っている自然のあり様を見いだせた。それは二十四節気という季節の
変わりごとを描いた農事暦の移ろいが身近に感ぜられることからも分かった。更には、古老
と言われる人々にもそれがある。司馬遼太郎が「街道をゆく」で、その第一回をこの地域を
選んだのが納得できる。琵琶湖に沿う形で伸びる比良山系、山歩きが苦手な私であるが、
千メートルを超える山並みは自然の描画を様々季節、一瞬間の間にもその変化の多様な
琵琶湖の多様多彩な姿形と調和し、時には反駁しながら描いてくれる。湖の群青、満月に光り
輝く黄金色の水面、四季の折り目を見せてくれる葉群の濃淡の緑、秋の赤、黄色、橙の変化する
葉たち、白雪の頂を持つ比良の山並みと透き通る蒼さの中にさざ波を見せる湖面、時には
それらの色凡てが入り混じり濃厚な自然の有色の景観を織りなしていく。
更に少し奥へと足を延ばせば、大小の不揃いな田んぼが緩やかな傾斜を持った小さな丘
を這うように並び「田毎の月」を楽しめる棚田もある。歌川広重が描いた「信濃 更科
田毎月 鏡台山」さながらの景色がある。小さいながらもこの地は日本の原風景を抱えている。
それはアスファルトジャングル化した都会ではありえない自然の癒しであり恵みでもある。

それらのどれか、もしくはすべてに魅かれたのであろうか、琵琶湖を取り巻く近江の文学は
100冊以上もあり、多くの作家の心の襞に触れてきた。例えば、井上靖は「夜の声」「星と祭」等多く
の作品をこの近江を中心に描いている。また、白洲正子や司馬遼太郎の紀行文に描かれる
多くの神社仏閣の存在や琵琶湖を中心とした生活情景は今もまだ息づいている。
商業化されるには、派手さがなく、多くの景観もその規模が小さくそこに住む人にさえあまり知られて
いない存在でもあった。しかし、いまだ人の手が加わらない古代以降の日本的情景が残っている
のもこの地域だ。ここは、その想いを味わいながらゆっくりと歩き、己や知り合いに想いを
深めるには最適の場所でもある。
そして、その第一歩をこの小野から始める。
この静かな住宅地を脳裏からすべて消し去り、都人が訪れ詠ったという歌が「志賀町史」
にある。それを思い出しつつ小さな旅を始めたい。
以下は志賀町史の「志賀の四季」にある。歌心は無けれど、これあの歌以外でも
多くの都人が詠ったという四季時折の歌にその情景が浮かぶ。
そしてそれはまだこれから漂遊する地域でも見られるはずである。自然は頑強に
この地を守ってきた。

「恵慶集」に旧暦10月に比良を訪れた時に詠んだ9首の歌がある。
比良の山 もみじは夜の間 いかならむ 峰の上風 打ちしきり吹く
人住まず 隣絶えたる 山里に 寝覚めの鹿の 声のみぞする
岸近く 残れる菊は 霜ならで 波をさへこそ しのぐべらなれ
見る人も 沖の荒波 うとけれど わざと馴れいる 鴛(おし)かたつかも 
磯触(いそふり)に さわぐ波だに 高ければ 峰の木の葉も いまは残らじ
唐錦(からにしき) あはなる糸に よりければ 山水にこそ 乱るべらなれ
もみぢゆえ み山ほとりに 宿とりて 夜の嵐に しづ心なし
氷だに まだ山水に むすばねど 比良の高嶺は 雪降りにけり
よどみなく 波路に通ふ 海女(あま)舟は いづこを宿と さして行くらむ
これらの歌は、晩秋から初冬にかけての琵琶湖と比良山地からなる景観の微妙な
季節の移り変わりを、見事に表現している。散っていく紅葉に心を痛めながら
山で鳴く鹿の声、湖岸の菊、波にただよう水鳥や漁をする舟に思いをよせつつ、
比良の山の冠雪から確かな冬の到来をつげている。そして、冬の到来を予感させる
山から吹く強い風により、紅葉が散り終えた事を示唆している。これらの歌が
作られてから焼く1000年の歳月が過ぎているが、現在でも11月頃になると
比良では同じ様な景色が見られる。

2017.11.10

ライフサイクル最後のステージを迎え、2000年代を振り返る

書斎から見る外の景色が少しづつ黒い幕を押しやるように目の前にその朧げな形を
見せつつある。比良の稜線がその強さを増しつつ青味がかった空に太く琵琶湖に
沿ってなだらかな曲線を描きはじめる。薄い雲片がやや赤味を帯びて比良の山並みに
集い、里山の黒味の緑もその艶ある緑に一段と深めていく。
思えば、すでに老年期を越した私にとっても、D.レビンソンの言う「児童期と青年期
(0~22歳)」にも見えてくる。また、琵琶湖が赤く照り映えはじめ、比良の山並み
が濃厚な蜜柑色に彩られる情景もその力強さから同じ「児童期と青年期(0~22歳)」
に感じる時もある。人の心は無常だ。目の前の情景が同じであってもそれを感じる心に
変化があると見るもの、感じるものへの心根に残る姿も変わる。

20年ほど前にここに移り住んだ2000年代「中年期(40~65歳)」には、朝の湖
の情景に自分の想いを馳せていた。確かに今眼前の情景が自身の世界でもあった。
人のライフサイクルについては、他にも色々な考えがあるが、例えば中国の古代思想
「五行説」には、少年期(~19歳)は黒い冬(玄冬)、 青年期(20歳~)は 青い春
(青春)、中年期(40歳~)赤い夏(朱夏)、老年期(60歳~)は、白い秋(白秋)
ともある。各段階の境目には5年間の「過渡期」がある。少年期は「厳しい冬」、老年期は
「人生の収穫を楽しむ秋」ということになる。老年期となった今、この朝の情景は憧れ
の1つになりつつある。

2000年代、90年後半に始まったネットバブルの狂騒であったが、2000年
には早くも消えつつあった。アメリカのそれとは違い、中身が伴なっていなかった。
さらには、2001年9月11日のテロという名の惨劇であった。それからの世界は
流動性が一層増したようにも見える。また、日本でもその社会全体の動きは、最新の
厚生労働白書を見ると面白い。ここでは、若者の仕事に関する意識は2000年を境に
大きく変化したことを言っている。日本社会の本質的転換点だったのかもしれない。
厚生労働省は2013年9月に厚生労働白書を公表した。そのテーマは「若者の意識」
で、若年層の雇用環境や職業意識などについて様々な考察が行われている。
その中で、働く目的に関する長期的な調査の結果が非常に興味深い内容となっている。
新入社員に対して働く目的を尋ねたところ、2000年までは一貫して5%程度しか
なかった「社会のために役に立ちたい」という項目が2000年を境に急増、
2012年には15%まで上昇した。また「楽しい生活をしたい」という項目も
2000年を境に急上昇し40%とトップになっている。
これに対して「経済的に豊かな生活を送りたい」「自分の能力をためす生き方を
したい」という項目は、逆に2000年を境に低下し、現在は20%程度まで落ち
込んでいる。最近の若者が賃金にはこだわらず「社会の役に立ちたい」「楽しく仕事を
したい」という傾向を強く持っていることは、各種調査などですでに明らかになっている。
だが2000年を境にこうした意識の変化が急激に進んだという事実は、長期的な統計
を見ないとわからないものである。
2000年代こうした日本の閉塞感が顕在化してきた年といえるのかもしれない。
老年期となって狭い出窓の先にある風景は変わらないかのようであるが、中年期の頃
自身には見えていなかった。
例えば、2000年前後には、ベンチャー企業ブームがあったり、構造改革の機運が高ま
るなど、日本の高い成長にまだ大きな期待が寄せられ私自身も多くのビジネスの仕掛けを
していた。

人のライフサイクルもその環境変化に大きく左右される。
特にその顕著な例が2000年前後から急激に社会に浸透はじめたインターネットの
影響であろう。「フラットな世界」という本にその概要が描かれている。
1990年代後半からのインターネットの進化を踏まえて、トーマス・フリードマン
が2005年に発刊している。そしてこの世界は更に深化している。
グローバリゼーションが広まり、世界がフラット化しつつある要素には、10項目
があると言っている。フリードマンの指摘は更に深化して社会、政治、経済まで
大きく変わりつつある。

D.レビンソンの言う私が過ごした2000年代「中年期(40~65歳)」もその
埒外ではなかった。ビジネスの世界では、50歳後半はすでに老年期とみなされ、
「年寄り不要論」が喧伝されていた。
しかし、60歳後半の人間になった老人として我が自然から感じることもある。
それは、満月の光に輝きを持って横たわる琵琶湖を見る時だ。
泉鏡花の瓔珞品(ようらくぽん)にその情景がうかがわれるが、
「水を切る船端の波の走るのが、銀を落とすと、白い瑠璃の階きざはしが、
星を鏤めてきらきらと月の下へ揺れかかって、神女の、月宮殿に朝する
姿がありありと拝まれると申します。」「霜のように輝いて、自分の影の
映るのが、あたらしいほど甲板。湖水はただ渺茫として、水や空、南無竹生島
は墨絵のよう。御堂の棟と思い当たり、影が差し、月が染みて、羽衣のひだを
みるような、、、、、、、、、
と夜の湖水を表現している。まさにその光景が見えるのだ。
老年期という時期を迎えてもこの光り輝く情景はそれを見る眼を持つ者にとって
朝の力強い情景にも見えるのだ。
それをこの地の自然がそれを教えてくれている。

2017.10.27

台風の来た日

ここに移り住んで20年、これほどの風が吹き荒れた記憶はない。
元々このあたりは「比良おろし」と言って時には、電車まで止めてしまうほどの
風が好き放題に森や雑木林、家々を撫でまわしていくのだが、今回のはだいぶ
様相が違った。
前日から家を揺らしつづけている。
家全体がその風の凄さに悲鳴を上げていた。夕刻から始まった風は一夜明けても
止むことなく、周囲の家や街を取り囲むように生い茂る雑木林を左右に前後に
こねりまわしている。
眠りが浅くなると、その耳をほじくり返すように頭の奥まで、侵入してくる。
朝5時半ごろでああろうか、起きて机に座ると、まだ大きな暗闇がすべてを
隠し覆っていた。何も見えない暗闇というのは、これか。変な納得感の中で、
暫くはぽつねんと机に座っているだけだった。
突然、眼の間の暗闇が裂けた。その先には、比良の山並みの薄く見える頂に
黒く重たそうな雲がずしりとした威容で乗っていた。比良そのものがその
重さに悲鳴を上げている姿にも見えた。
やがて、薄明るい世界が暗闇を追い払っていった。

だが、いつもみる世界と何か違うと私の心が囁いている。
よく見れば、街灯を含め、すべての人工の光が見えていない。停電が起きていた。
時折、光の筋がゆっくりと流れていく。車で仕事に出かける人なのであろうか。
だが、それ以上の変化、それ以下の変かも起きない。無音と無明の世界のみだ。

停電は、その後も続き、西日が周囲を、台風の爪痕を四方に残した、赤く染める
ようになっても、続いた。やがて、赤や橙色光が薄暗闇に抱き込まれる時
となっても、変わらず、我が家は闇が支配していった。わずかの懐中電灯と
蝋燭の光の中で、息を殺すかのような時間が始まった。蝋燭の火影が天井に
不規則な影を揺らめかせている。これも楽しいものだという心と食事が
まだまだという肉体的な要求が微妙に揺れ出す。
突然、家の中が光に満ち溢れる。
先ほどまでの感傷はどこか遠くへと飛んで行っていた。

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