人生

2017.09.01

わたし的自己

最近、自分とは、自己とはなんだろう、と思うことが多い。
絶対的な自己なぞ存在しない。でも、多くの人はそう思っていない。
わたしもその1人でもあるのだが。
すでに棺桶に片足を踏み入れたような人間が思うべきことではないようにも
思うが、そのような状況となりつつある人間だからこそ考えるべきこと
かもしれないと1人納得することもある。

たとえば、ユングなどが提唱する心理学の中に集団的無意識というのがある。
古代から受け継がれてきた自分が意識していない、もしくは意識することが難しい、
だが、己を統制しようとする意識だ。日頃感じたり、思ったりしている自分とは
違う自分、自己がいる。その感覚が強まるほど自己の存在さえ怪しくなる。

自己を知るという点では、まずは、ユング以降の心理学であり、もう1つが
宗教的な立場での自己の存在認識なのかもしれない。
社会の中での自己、個人と個として人としての自己は別な領域で併存してきた。
だが、インターネットという社会を変容させつつある時代では、その共存が
求められる。個の、自己の埋没を許している限りは新しいこの社会の中では、
集団的無意識的な世界に生きる自己になってしまう。

道元は、「自己の捉え方を自己が事物を対象として認識する認識主体としてではなく、
存在者それ自身の「自己」として捉えること良しとしている。単純にそこにある
自体では、自己ではないと言っている。「自己」とは行為的、能動的に存在する
個々の存在者の自己なのである。
そういう風に考えると、この60数年自分に自己があったのか、そう思う昨今だ。
ただただ自身の種を次へつなぐための中継的役割の日々だったのか。

そんな中、気になるのが、輪廻転生であり、いわゆる生まれ変わりだ。
肉体としての個の継続はなくなるが、心の継続は何代となく永久不滅に進んでいく
という考え方だ。
求められる「自己の確立」ということもあるが、「死」に伴い自己がどうなるのか、
という点も気になる。

江戸時代の国学者・平田篤胤が、ある奇妙な男の話を残している。
小谷田勝五郎という、この男、科学では解明できないある記憶を持っていた。
江戸時代、中野村にいる源蔵の息子として勝五郎は生まれた。
そしてそれが起こったのは、勝五郎が八つになったある夜のことだった。一緒に眠っ
ている祖母に、このような話をし始めた。
「おれの本当の名前は藤蔵なんだよ」
 そして更に、このように述べたという。
「昔は程久保村に住んでいた」
「父親の名前は久兵で母親の名前はおしずという」
「でも父親はおれが生まれてすぐ死んだ」
「おれもすぐ死んだ」
「だからこの家の母親のお腹に入って、また生まれてきたんだ」

まさに輪廻転生。この奇妙な話だけでなく、勝五郎は死後の世界のことまで語った。
最初は半信半疑だった祖母もその話があまりにも具体的であったことから、村
の集まりの際に村人たちに語ることにした。
その結果、十五年前の程久保村の状況と酷似することが分かった。程久保村の人間が
噂を聞きつけて勝五郎の元へやってきたのだが、話は更に信憑性を帯びていった。

行ったことのない、そもそも名前さえ何故知っているかも分からない程久保村のこと
を、勝五郎は詳しく答えた。そればかりか、昔の自分だと豪語した藤蔵は本当に存在し
た。そして藤蔵の家の様子までさらりと答えた。
驚いた村人たちは勝五郎を程久保村へつれていった。すると勝五郎は、藤蔵が死んで
から変化した町並みについては「こうではなかった、こういうものだった」と、ずばり
言い当てたという。
藤蔵は文化四年二月四日に、勝五郎は明治二年十二月四日になくなった。この二人の
墓は、今でも残っている。

小谷田勝五郎。彼は本当に、輪廻転生をしたのだろうか?
この場合、当人にとって、どちらが「真の自己」となるのであろうか。
われわれは職業を代えても、私は私と思うだろう。住居を代えても、私には変わりはない。
しかし、そのようにして自分にそなわっているすべてを次々と棄ててしまって、そこに
「自分」というものが残るのだろうか。自己というものはあるのだろうか。
さらに、自己の認識が己の記憶の連続の結果だとすれば、認知症の様なもしくは記憶欠落の
人の場合のような不連続の認識しかできない場合は、自己は存在するのであろうか。

中々に考えさせられる話だ。ユングの集めた心理学的症例の中にも、似たような
事例が書かれている。

更に、自己を深く求める道元の様な場合でも、その教えの中には、
道元禅師の言葉の中で最もよく知られているものの一つで、この言葉に続くのは、
仏道をならふというふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。

「仏道をならう」ことは、「自己を究明する」ことであり、ここでいう「自己」は
本来の自分自身という。そのためには、「自己を忘れれ」ばいい。
ここの「自己」は、自意識的自我。
「自己を忘れる」ためには、「万法に証せられれ」ばいい。
「万法に証せられる」ためには、「自己の身心及び他己の身心を脱落させれれ」ばいい、
といっている。つまり、自分と自分以外のすべて、つまり宇宙全体は一体であると
いう意識に目覚めること。大分理解を越え始めるが、なんとなくわかる。
だが、ここでは自己の認識を確立した人が対象なのであろう。
「仏道をならう」ということは言い換えれば「さとりの境地に至る」ということなのだが、
そのためには、自己をならいなさい。「ならいなさい」ということは、究明しなさいと
いうこと。禅の目的は「己事究明」にあるとされている。自分の内的世界を掘り
下げなさいということです。自分の内的世界を掘り下げるためには、「自己を忘れなさ
い」といっている。ここがちょっと難しい。

「自己」というものはふしぎなものである。だれもがまるで自明なこととして「自己」
という言葉を用いているが、われわればどれほど「自己」を知っているだろうか。
インドの説話に次のような話がある。
ある旅人が空き家で一夜を明かしていると、一匹の鬼が死骸を担いでそこへやってくる。
そこへもう一匹の鬼が来て死骸の取り合いになるが、いったいどちらのものなのかを
聞いてみようと、旅人に尋ねかける。旅人は恐ろしかったが仕方なく、前の鬼が
担いできたというと、あとの鬼が怒って旅人の手を引き抜いて床に投げつけた。
前の鬼は同情して死骸の手を持ってきて代わりにつけてくれた。あとの鬼は怒って、
足を抜くと、また前の鬼が死骸の足をくっつける。このようにして旅人と死骸の
体がすっかり入れ替わってしまった。二匹の鬼はそこで争いをやめて、死骸を
半分づつ喰って出て行ってしまった。驚いたのは旅人である。今ここに生きている
自分は、いったいほんとうの自分であろうかと考えだすとわけがわからなくなって
しまうのである。

この話は「自己」ということの不可解さをうまく言い表している。このように考えだすと
全く分からなくなる。ここでは体のことになっているが、輪廻転生では心の継続を言っている。
身体が社会との境界であるならば、転生した体と転生前から存在する心との差異は
どう埋められるのだろうか。
生きているときの自己、さらには死後の自己、考えれば考えるほど、闇が深まる。

2017.08.25

わたし的死への想い3

谷川俊太郎「灰色の表現」の一部、生と死についての語り掛けを詠んでみたい。
これもまた「死生観」の1つとしても読める。
「どんなに豊穣な生も、本当の生であったためしはない。
一点の翳もない生の中に、目に見えぬ微少な死が隠れていて、それは
常に生の構造そのものである。
生は死を敵視せぬどころか、むしろ生は生ゆえに死を生み、死をはぐくむ
と理解される。
存在のその瞬間から生はすでに、死へと生き始めているのだ。
だが死への長い過程に、どれだけの老いの諧調を経過するとしても、
生は全い死に化するその瞬間まで、生であることをやめはしない。
たとえ生の属性とは考えられていないもの、
たとえば腐敗、たとえば病等によって冒されているとしても、
生は老いの仮面のかげで輝いている。
生が物にかえる時は一瞬だ。
その一瞬に生は跡形もなく霧消し、全い(またい)死が立ち現れる。
だが――
どんなに不毛な死も、本当の死であったためしはない。
一点の輝きもない死の中に、目に見えぬ微少な生は、自己複製子の
ように隠れていて、それは常に死の構造そのものである。
存在のその瞬間から死はすでに、生へと生き始めている……」

納棺師青木新門さんという方の言葉も考えさせられる言葉だ。
「長い間、私たちは死を忌むべきものとして、日常生活から切り離して隠し、
見えないところに遠ざけてきました。だから本当の意味で、死の実感に乏しい。
頭の中で想像しているだけなので、極端に美化したり、おそれたりするのでしょう。
わたしは、その傾向に疑問を感じています。
30代半ばで納棺師になり、3000体近い遺体と接してきました。
死体に白衣を着せ、髪や顔を整えて納棺する仕事でした。
、、、、、、
出会う遺体はみなそれぞれに美しかった。正確に言えば、死を通して、生きていること
の素晴らしさを教えてくれました。寿命が延びても、いつか必ず死ぬ。死から目を
そらしては生きてられない。
ありのままの死に姿を見てきたことで、それに気づくことが出来ました。
、、、、、、、、
いつの頃から、ぶよぶよとした遺体が増えてきました。延命治療を受けてきた方が
多いようです。わたしには、死を受け入れず、自然に逆らった結果のようにも感じられます。
死期を悟って、死を受け入れたと思える人の遺体は、みな枯れ木のようで、そして柔らかな
笑顔をしています。亡くなる直前まで自宅などそれぞれの居場所で、それまでと変わらぬ
日々を過ごしてきた人の多くがそうだった気がします。体や心が死ぬ時を知り、
食べ物や水分を取らなくなり、そして死ぬ。それが自然な姿なのではないか。
今、そういう死に姿は少ない。医師は1分1秒でも長く生かすことを使命だと思っているし、
家族は少しでも長く生きることが重要だとばかりに「頑張って」と繰り返す。
本人が死について思うことや、気持ちは聞かない。生命維持に必要な機械のモニター
ばかり見つめ、死にゆく本人を見ていない。大切なことを見逃してきたのです。」

考えてみるべき言葉だ。既にわたしも前期高齢者だ。「死」が以前よりも迫っているはずだが、
わたしも家族もその意識は少ない。3年前の大病の時、心を一瞬通り過ぎたが、それも
3か月後退院すると遠い過去の想いとなった。死が目前にしっかりと見えた時にしか
考えられないのであろうか。だが、その時は手遅れだ。

わたしの家には、猫が概ね5人、この20年ほどいたが、今は2人となり、そのうちの1人は、
20歳となり、他の2人との喧嘩で急激に老化した。そして8月7日午前2時に他界した。
この家に連れてきたときはまだ本当に小さくて、排便から食事の世話まで見たものだが、
そのやんちゃぶりは、悪戯好きの小学生の女の子と言う感じだった。そして彼女は
身軽で、食事の時に食物をつまんで高くかざすと跳び上がって家族を喜ばしたものだった。
数ヶ月も経つと非常に表情が鮮やかとなり、口元や、小鼻の運動や、息遣いなどで
心持の変化を表す事は、人間と少しも変わらなかった。なかんずくそのぱっちりと
した大きな眼は、いつも生き生きとよくよく動いて甘える時、いたずらをするとき、
物に狙いをつける時、どんな時でも愛くるしさを失わなかったが、一番可笑しかった
のは怒るときで、先輩の三毛猫の4分の1もない小さな身体をしているくせに
やはり猫並みに背を丸くして毛を逆立て、尻尾をピンと跳ね上げながら、足を
踏ん張ってぐっと睨む恰好といったら子供が大人の真似をしているようで、皆が
その姿に喝さいを送ったものだ。
また外猫も含めれば、20人以上が我が家に接してきたと思うが、死に直面できたのは、
2人だけであった。その2人は今、我が家の庭の猫の置物の下で眠っている。それは、
わたしが薄情だったのか、猫たちがそれを望まなかったのか、いずれにしろ後悔の残る
20年ではあった。
そんなとき、「100万回生きた猫」という本を見た。犬についての話や本も色々と
あるのだろうが、最近色々な本や記事を読んでいると、猫に関する本が特に多いのでは、
と思っている。この本は絵本であり、小説や随筆の類とだいぶ違うが、内容はそれらに
優るとも劣らないものだ。人生をよく語っている。難しい書物から何かを得ようというのは、
素晴らしいことだが、この絵本でもその深さは変わらない。ある意味、以前紹介した
時間の考えを分かりやすく描いた「モモ」と相通じるものがある。
100万回も生き、王様や船乗り、お婆さんなどに仕えたと言い、生きることに傲慢に
なったとらねこがいた。
だが、彼も人の子?猫の子であった。ある日白い猫に恋してから変わった。

短い文章とその絵が素晴らしい。猫は死に飼い主は大いに悲しむ。100万人を悲しませた。
しかし、「猫は死ぬのなんか平気だったのです。」とある。
猫は白い猫と、たくさんの子ネコを、自分よりも、好きなくらいだった。
絵を見ると野原の中央にとらねこと白猫が寄り添っており、その周囲で
子ネコたちが楽しそうに遊んでいる。彼の眼はもう昔の様な鋭くはない。
子ネコたちは大きくなり、それぞれどこかに行ってしまった。仔猫の成長に
満足し、夫婦の猫は大分年老いたにしろ、ゆったりとして生きていた。
「猫は、白い猫と一緒に、いつまでも、生きていたいと思いました」
しかし、白い猫はとらねこの隣で静かに動かなくなり、死んでしまった。
「猫ははじめてなきました。夜になって、朝になって、また夜になって、
朝になって、猫は100万回もなきました。」そのうち、彼は泣き止み、
白猫の隣で、静かに動かなくなった。
最後のシーンは野原で遠くに家が見える。ここには猫の姿はない。
「猫はもう、けっして生き返りませんでした。」

輪廻転生という難しい言葉はともかく、死への畏怖や恐怖はここにはない。
愛する妻のそばでは、生も死も関係ないのだろう。生きていても添い遂げ、
死んでも添い遂げる。
今、わたしの横で本を読んでいる妻の横顔をそっとみる。白い猫ととらねこのように
なれるのか、わたしには自信がない。

2017.08.11

わたし的死への想い2

河合隼雄の「影の現象学」に最近の死生観の変化と死による自己変容の可能性が
書かれている。これ等からは、「死」を肉体的な面から見ることのほかにも、精神的
心的面でも考えていくことの必要性をが問うている。

「われわれは生きていることが「死につつある」ことをよく忘れてしまっている。
彼は、古代人や中世人が死を自然の一部とみて、死の固有の意義をその世界観
の中にうまく取り入れていることを指摘し、それに反して現代人は「死」の
取扱い方があまりにも偏っているために、死に対する過度の恐怖感などを起こし、
人間を極度に不幸な状態に陥れていると述べている。
たしかに、古代人や中世人は彼らの世界観の中に、象徴的で可視的な「死の位置」
を定めているのである。これについて、樋口は「このような現代人の死に対する
考え方は、更に現代人の誤っている素朴な肉体感とも関連を持っている。現代人の
多くは自分の肉体は無限に直線的に発展しづつけると素朴に考えている。
したがって、死は現代人にとって、いつも「経験しないなにか」であり、生の延長
上にしかなく、結局、死は経験せずにすむものという直線的な死生観を信じていると
指摘する。
、、、、、、、、、、、
わたしは海から釣り上げられた魚である。
それをつり上げた海岸にいる男、それは私だった。
エサで私を誘い、そして釣り糸を引いたのは私だった。
私は下へ、深く、戻りたいと願う。
しかし、陸にいる男は容赦しない。
私の少年時代は砂の上で死んだ。
それは大きな手の中で横たわっている。
その手が糸を引き、針を外す。
そしてわたしを料理するように妻に渡す。

この詩では、とらわれ、死に導かれるのは魚であるわたしであり、それをつり上げ
料理するのも私である、として表現されている。「少年時代は砂の上に死んだ」という
言葉が示されているように、少年から成人へと変化するとき、その人はひとつの
死の体験をしなければならない。通過儀礼の基本的な構造を支える死と再生の
パトスがここに詩として詠われている。影は自我の死を要請する。それがうまく
死と再生の過程として発展するとき、そこには人格の成長が認められる。
しかしながら、自我の死はそのまま、その人の肉体の死につながるときさえある。
このような危険性を含んでいるだけに、自我はときに影の方を死に追いやるときがある。
われわれは夢の中でときに殺人を犯したり、他人の死を体験するが、その相手が
われわれの影の像であることが多い。そのときは、影は殺され、一度無意識に沈み新たな
形態をとって自我に受け入れやすいものとなって再登場してくるであろう。」

自身の人生に「死」の位置づけが明確ではない現代では、道元の正法眼蔵生死の巻にある言葉は
考えるに値するのかもしれない。
「生死の中に仏あれば生死なし。また曰く、生死の中に中に仏なければ生死に
まどわず」生死は、生と死という2つを論じているのではない。
仏教では、生死は、生き死にのあるこの煩悩の現世を言っている。
生死の中には、元々、仏がある。すなわち、絶対的な真実を
掴んでいればすでに、現世を越えている事となり、今更、
生きる死ぬと言うことを迷う必要はない。逆に、生も死も
只それだけの事実で、ことさら悟りや救いがある訳でもない
と観念していれば、生だ死だと騒ぐ必要もない。

そして、
「生より死にうつると心うるは、これあやまり也。生は、ひと時のくらいにて、
すでにさきあり、のちあり。」

生と死は、分けて考えてはいけない。その事実を事実として徹底的に受け入れること。
先ほどの道元が詠んだ歌の境地でもある。
生きていると言うことは、死と比べて生きているといことではない。そこには、
絶対的な今しかない。

死を迎える心とは、
「生きたらばただこれ生、滅来たらばこれ滅にむかいてつかうべし。
いとうことなかれ、ねがことなかれ」
我々は、既に、生と死の中にいる。それであれば、いまさら、死や死後の成仏を願う
こともない。生の中にいて、生以外のものを願うことはできないし、死の中にいて
死以外のこともありえない。

元々、生きている日々は、最後の死へ近づく日々でもある。
「健康、健康と騒ぎ立てる」が、要するに、生きていることが本人にとって、一番
悪いのかもしれない。
達するべき己の境地とは、
「ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえに投げ入れて、仏のかたより
おこなわれて、これにしたがいもていくとき、ちからももいれず、こころもついや
さずして、生死をはなれ、仏となる。」
全部の自分を捨ててしまう時、本当の真相が露わになり、それが、人間を向こうから
明らかにしてくれる。だから、力んでしまうことはない。そのまま生死を離れ、
仏となることが出来る。大事なのは、ただわが身、その心をも、放ちそして
忘れること。

だが、わたしには、まだまだ不明だ。これは、頭で多分理解することに問題が
あるのかもしれない。体感することだ、しかし体感するには己の力不足あり。
このジレンマにどうしようもない自分を知ることになる。

2017.08.04

わたし的死への想い1

「死」テレビでよく報道されているテロやISなどとの戦闘シーン、そこでは人は
容赦なく殺され、死に至る。だが、特にわが国では、死が日常から離れ、死の直前
に至るプロセスはあまりお目にかかることはない。更には、自分や愛する人々の死
について考えることを先延ばしにし、「死」そのものさえ忘れ去ろうとしている。
われわれは、死を看取る力を次第に失い、死にゆく患者のそばにいながらもその願い
が聞こえなくなってきているのかもしれない。

実際死に直面した自分はどうなるのだろうか、岸本英夫氏の「死を見つめる心」
の一文がその答えの1つなのだろう。だが、「死後の世界」をどう見るべきかの
答えはまだ見つかっていない。

「癌の宣言は、私にとって、全く思いがけないことであった。寝耳に水であった。その場
では、私は、自分にとって非常に重大なことを知らされていることはわかりながら、そ
の事柄が、あまりに重大なので、そのほんとうの意味が良く理解できないというような
、戸惑った気持ちであった。
病院からの帰りの自転車の中で、ふと気がついて見ると、自分の心はすでに、異様に緊
張しているのを知った。ほんの一時間ほど前、病院に向かう時には、冗談でもいえそう
なゆったりした気持ちであった。同じ自転車に乗っていながら、今は、全く、別人のよ
うな気持ちになっている自分を見出した。
・・・
ソファーに腰を下ろしてみたが、心を、下の方から押し上げてくるものがある。よほど
、気持ちをしっかり押さえつけていないと、ジッとしていられないような緊迫感であっ
た。われしらず、叫び声でもあげてしまいそうな気持ちである。いつもと変わらない窓
の外の暗闇が、今夜は、得体のしれないかたまりになって、私の上に襲いかかって来
そうな気がした。」
さらに彼は書いている。
「私自身は、はっきりいえば、そうしたこと(死後の世界)は信ずることはできない。そ
のような考え方はどうも、私の心の中にある合理性が納得しない。それが、たとい、身
の毛がよだつほど恐ろしいことであるとしても、私の心の中の知性は、そう考える。私
には、死とともに、すなわち、肉体の崩壊とともに、「この自分の意識」も消滅するも
のとしか思われない。
・・・

まっくらな大きな暗闇のような死が、その口を大きくあけて迫ってくる前に、私はたっ
ていた。私の心は、生への執着ではりさけるようであった。私は、もし、自分が死後の
理想世界を信じることができれば、どれほど楽だろうと思った。生命飢餓状態の苦しみ
を救うのに、それほど適切な解決法はない。死後も、生命があるのだということになれ
ば、はげしい生命飢餓の攻撃も、それによってその矛先をやわらげるに相違ない。
しかし、私の中にある知性は、私にするどくよびかけてきた。そんな妥協でおまえは納
得するのか。それは、苦しさに負けた妥協にすぎないではないか。その証拠に、お前の
心自身が、実はそういう考え方に納得してはいないではないか。そのするどい心底の声
をききながら、私は、自分の知性の強靭さに心ひそかな誇りを感じ、そして、さしあた
りの解決法のない生命飢餓状態にさいなまれながら、どこまでも、素手のままで死の前
にたっていたのである。」

「死後の世界」、それは仏教が広く社会に受け入れられた時代と大きく変わって来た
のだろうか。たしかに近代科学が発達したことにより、「死は個体生命の終結」
という考えが強くなった。しかし、memento mori(死を想う)という意識は、
イエは永続するという血食の思想など柳田国男や折口信夫など民俗学者も論を交えている
ように、単なる一個人の肉体の消滅以上の意味を持っているともいう。
更には、長く続く日本の民俗文化、仏教的思想をベースとする死生観は社会的な流れに
あわせ、変化していくのかもしれない。

仏教的思想としては、源信の書いた「往生要集」がある。大文第十までに及び厭離穢土や
欣求浄土に行くための念仏の必要性などを説いている。更には、閻魔王庁図などの六道絵
によって、イメージ化され民衆に受け入れやすくなっている。阿修羅道図、餓鬼道図、
阿鼻地獄図などその犯した罪により様々な地獄が描かれており、如何にも恐ろしい。
更に多くの如来や菩薩が迎えに来る来迎図と合わせ近世の人は、感激しながらそれに
見入たのではあるまいか。彼らには、ある意味、死後の世界が必要でもあったのだ。

また、「日本往生極楽記」は慶慈保胤(慶の保胤 よしのやすたね)によって10世 紀に
できた「往生伝」の日本でのさきがけであるが、42伝をおさめている。
慶慈保胤は、この本の序文につぎのようなことを書いている。

自分は、40歳のころから、阿弥陀の信仰に深く志し、…出家者と被出家 者を問わず、
また男女を問わず、極楽に志しあり、往生を願う者には、かなら ずかかわり合いを持
った。中国の浄土論にも、往生した人二十名の伝記を記載 しているものがある。それ
は非常にすぐれた[往生の]証拠となる。人々の智 恵が浅くて、浄土教の原理の理解が
十分ではない。もしも往生した人のことを ありありと描写しないならば、人々の気持
ちを十分に納得させることはできな いだろうと言われている。、、、、
できれば、私はすべての人々とともに、極楽浄土に往生したい。

彼によれば、幸福とは、「極楽往生」という答えとなる。 死ぬこと自体が歓喜となり、
そして死後に極楽の生が保証されている。そのような死に方=生き方をすることが
最高の幸福だというのである。ここに、現代の死への考え方はない。
それが、中世から近世への人々の基本的な想いなのであろう。彼らにとって、「死後の世界」
は幸福な世界なのだ。そのためには、仏教の教えに頼ったのだ。「往生要集」の
根底は、念仏による極楽への導きなのである。

2017.07.28

自分の影?

わたしたちは普通自己の存在は1つしかないものと考えている。それは普段の行動でも
思考でも自分自身とは相いれない何かに気づかず過ごし、そのような局面になったとしても
思い違い程度としてすましていることがほとんであろう。つまりもう1人の自分が
いるなどと思うこともない。でも、心理学では少し違う見方がある。「影」の存在を
認めている。そしてそれが如実に表れるのが「夢」だとも考えている。
たしかに、夢の中では、自身が意識している自分と全く正反対の人間が登場することが
よくある。
たとえば、決断や行動を素早くできると思っているが、時に気弱で優柔不断な男の夢を
見たことはないだろうか。個人的には、時に朝目覚めた時、何か不可思議な自分が
板という記憶がある。記憶もそれが何度か紡がれていくとさすが鈍感な私でも夢の
人間は誰なんだ、と思うことがあった。

河合隼雄の「影の現象学」はその点で面白く読める。
ちょっと以下の文はいかがであろうか。
「まず、自我は影の存在を意識していないが、影によって何らかの影響を受けている
場合がある。こんな時、われわれは思いもかけない失敗をしたり、物忘れをしたりする
ことが多い。これはわれわれの心の中の小さいトリックスターの餌食になっているとき
であるとも言うことが出来る。
言ってはならないことことをつい言ってしまったり、厳粛な場面で笑いが込み上げて
きたりする。これを逆に言うと、われわれはあまりにも馬鹿げた失敗を繰り返すときには、
どのような類の影が自我に働きかけようとしているのかについてよく考えてみることである。
そこで、相手を明確にすることができれば、後に述べるように、われわれはそれと関係
が持てるのである。影が普遍的なものに近くなり、働いている層が深くなるほど、
自我のうける影響は不可解なものとなる。それは幻覚となったり、妄想となったりする。
そのインパクトの強さのため、われわれは外界と内界の識別さえ難しくなるのであろう。
このような自我と影の関係は、昔話や神話の表現によると、正体不明の怪物によって
国や町などが脅かされている状態ということになるだろう。
ここで影の力が強くなり自我がそれに圧倒されるときは、完全な破滅があるだけである。」

このように自身の行動を考えたことはないだろうか。
さらに、ある夢の分析から少しその意識が深まるのでは。
「25歳男性の夢
わたしの兄が何か反社会的なことをしたため、逮捕されることになる。夢の中では、
それは武士の時代のようになっていて、兄は拘引されるより切腹を希望する。わたしも
それを当然の琴と思っている。ところが、切腹の時になって私は「死」を意味することが
はっきりとわかり、必死になって兄をとめる。「死なないで、ともかくどんなことが
あっても生きていれば、会うこともできるし話し合いもできる。死んだらおしまいだ。
死なないで」と私は叫ぶ。
この夢を見た人は、社会的な規範を守り、その線で合理的に割り切って生きていく人
であり、その兄は何とか現状を打ち破り法律を曲げてでも状態をよくするために
行動する人であるという。この対照的な性格を示す兄が影であることは言うまでもない。
兄が反社会的なことを犯したという点にもそれが表されている。しかし、夢の舞台
を「武士の時代」に設定するという巧妙な手段をとって、本人と影との間に役割の変化や
関係が生じてくるようにする。、、、そして最後の瞬間にこの人の態度は逆転し、
社会的通念に反して、生きることを兄にすすめる。彼はここで社会的規範を破って
自分の心の中に流れる感情に従って行動し、影の死を救う。「生きている限り話し合える」
と彼が叫んだことも意義が深い。、、、、」

卑近な例として人格者と呼ばれる人の子供がどうしようもない夜の外れものだったり、国や
集団の影をいけにえ的に弱いものに押し付けたり、自分の影を外向的に照射するような行動
を時折見かけるが、これも「影の投影」という考えがあるという。

「われわれ人間はだれしも影を持っているが、それを認めることはできるだけ避けようとする。
その方策としてもっともよく用いられるのが、「投影」の機制であろう。
投影とはまさに自分の影を他人に投げかけるのである。しかし、投影と言っても誰かれなく
相手を選ばずにするのではない。その意味において、投影を受ける側も投影を引き出すに
値する何かを持っていることも事実である。
自分の周囲にいる「虫が好かない」人を取り上げ、それをひたすら攻撃する。自分は
お金のことなどあまり意に介してないのだが、同僚はお金にやかましすぎる。、、、、
結局は、この人が自分自身の影の部分、お金の問題を同僚に投影していたことが分かり、
この人がもう少し自分の生き方を変え、影の部分を取り入れていくことによって問題が解決された。」

このように影の世界、この存在を意識しておくだけでも自分の行動に幅が出るとも思える。また、
2つ目の文例のように影と自分の会話、内面での会話、がより自分を高めていくという
ことは素晴らしいことであろう。
夢分析なんて単なる心理学者の妄言だという否定的な人には関係ないだろうが、
でも、ことの有無はべつとしても「人間とは面白い生きモノ」であることには同意
してもらえるかもしれない。

2017.07.21

わたし的安保その2

1974年8月30日 「狼」班による三菱重工ビル爆破(三菱重工爆破事件)。
八名が死亡、三百八十五人が重軽傷。
同年十月十四日  「大地の牙」班による物産館(三井物産本社屋)爆破(三井物産爆破事件)。
十七人が重軽傷。
同年十一月二十五日 「狼」班による帝人中央研究所爆発(帝人中央研究所爆破事件)。
同年十二月十日 「大地の牙」班による大成建設本社爆破(大成建設爆破事件)。九人が重軽傷。
同年十二月二十三日  「さそり」班による鹿島建設資材置場爆破(鹿島建設爆破事件)。
1975年二月二十八日  三班合同による間組本社ビルと同社大宮工場爆破(間組爆破事件)。
五人が負傷。
同年四月十九日 「大地の牙」班によるオリエンタルメタル社・韓国産業経済研究所爆破
(オリエンタルメタル社・韓産研爆破事件)。
同年四月二十八日  「さそり」班による間組京成江戸川作業所爆破(間組爆破事件)。一人が重傷。
同年五月四日  「さそり」班による間組京成江戸川橋鉄橋工事現場爆破
(間組爆破事件)。

吉田松陰は常に「狂」ということを言ってきた。その「狂」はわが思想を現実化するするときには、
「狂」にならざるを得ないという意味であり、精神病理的な言葉ではない。そのような
「狂」は、歴史や社会が古びてどうしようもないときに発すべき言葉であり、日本では
明治維新しかなかった。さらに、そのような革命が行われるにしても、三つの人物がきちんと
対応しないと上手くはいかない。最初は思想家であり、次はその思想に殉じて行く人、
最後は革命を実際の社会的な基盤とするための現実的な処理能力を持った人が必要となる。
さらには、この「狂」を活かしていく社会的な行動がある。集団狂気の場の形成をしていく。
これがあって、社会的な大きな動きとなる。これは蓮如の北陸での活動にも言えるのであり、
一向一揆は社会的な底辺の人々のエネルギーを吸収したからあれほどの力を持った。
集団的な場の形成が「浄土来迎」という形で、皆に「狂」の行動をとらしたのかもしれない。
人間の本質的な部分をとらえると素晴らしい力となる。しかし、それが現状とは大きく
ずれても集団の場では、より過激な意見を主張するのが、勝つという架空の状況が出てくる。
陸軍が中心に、世界大戦に突入していったことはこれなのであろう。
また、戦後左翼の運動の中でも単なる「狂」の動きがあったが、それだけでは何もできない。
現状の把握が必要なのである。しかし、思想的な発狂や集団発狂の横行があるのはこの百年の
日本歴史である。企業爆破事件はわずかな人間の行動であり、真の「狂」ではない。
このことは二十年ほど前の地下鉄サリン事件も同じなのであろう。思想とその後の現実社会
への処理が伴わない以上単なる殺人事件のたぐいである。
だが、そいう自分も何様でもない。「狂」とは無関係な単なるサラリーマンであり、
家庭の平和だけが願いの人間であった。そして多くの日本人も、革命とは関係なく,
しいて言えば、「なんとなく生きていくこと」に少し不満の気持ちを抱えているだけで
日々を生きていた。それは、今の時代でも変わっていない。

さらに、阿久悠が書いた本の一文では、沢田研二が歌った「時の過ぎ行くままに」
にチョット耳の痛い話の一節がある。
「ベビーブームで生まれた団塊の世代の人口が一番多い。学生時代に、世界
同時革命、などのスローガンを掲げて社会の矛盾を突いていた人が、社会に出たとたん、
直行でマイホーム型人間になってしまったように見える。結局、「革命だ、革命だ」
と大騒ぎした人たちが、会社のため、家族のためにと人一倍身を削って働くことになった。
世界革命と叫んで闘争したあの騒ぎは何処へ行ってしまったのか」
あの男たちの気概は何処へ行ってしまったのか。
あの静まり方は大騒ぎした後にむなしさが残るようなそんな感じに似ていた。
私を含め、多くの若者がこのような社会の波の中で、自分を見つけるのに精一杯だった時代でもある。
、、、、、、、、、
あなたはすっかり 疲れてしまい
生きていることさえ いやだと泣いた
壊れたピアノで 思い出の歌
片手で弾いては ためいきついた

時の過ぎ行くままに この身をまかせ
男と女が ただよいながら、、、、、」

「時の過ぎ行くままに」にこのような想いがあることは知らなかったが、
あらためてこの歌詞を見ると納得感がある。
しかし、平成も三十年ほどになり、昭和は消えつつある。個人の脳裏から
さらには社会の記憶から、私の記憶からもわずかな断片としてしか残っていない。
時代は変わりつつある。何かいびつな成熟社会、60年・70年安保の闘争の
エネルギーはともかく、社会を変えるというエネルギーは期待し得ないのだろうか。

2017.07.14

わたし的安保その1

60年安保、更に70年安保、今の70歳以上の方には、心にどこかに
残る過去の懐かしさと悔恨の出来事なのではないだろうか。
時代が変わったと一言で片づけるには、大きな節目と思う。私自身は10代であり、
今とは違い情報伝達の貧弱な時代のなかで、わずかにテレビや新聞からの情報を
見たり聞いたりした程度であり、その切迫感はあまりなかった。というより、
関心がなかったに近いかもしれない。
だが、最近、youtube等の映像で見ると、ある意味懐かしさと憧れを感じる。
あれから約半世紀、成熟したと言われる日本社会、だが、それはそれは個人嗜好
にのみそのエネルギーを注ぐという社会的無関心が基底にあるような気がする。
それゆえ、たとえ映像からとはいえ、あの時代の熱情とエネルギーを感じられる
ということは羨ましいことでもある。

柴田翔の「されどわれらが日々」は、その現場感、当時の若者の想いを知る、感じる
本としては貴重なのであろう。さらに、彼らの心根が少なからず当時の多くの国民の
共通認識ではなかったのか、とも思える。

その一文、
「先頭が橋を渡って、広場へ入ろうとしたとき、そこにいた警官隊と小競り合いが
あったようでした。ピストルの音が響きました。催涙弾だったかもしれません。
が、革命が犠牲者を必要とするのは当然のことです。ぼくらは、死者が出ることも
もちろん予想していました。ぼくらは警官隊の薄い壁を、たちまち破って広場に
なだれ込みました。、、、、、、、
むしろその時朝鮮で戦われていた戦争が、やがて日本に波及するだろうことは、
確実なことだと思っていました。そして、そうなったとき、アメリカ資本主義の
弾除けになることは、絶対嫌でした。ぼくらは、その時はパルチザンになるのだと
決心していました。いや、ぼくらは、爆撃機が朝鮮に向かって飛び立ち、空襲警報
が発令され、何人かが傭兵として朝鮮で死んだという噂が乱れ飛んでいる日本は、
もう半ば以上、戦場だと思っていました。、、、、、
ぼくらは人民広場に自分たちの足で立ち、そうしたことへの第一歩を、今こそ
踏み出しているのだという興奮に包まれていました。
、、、、、、
ぼくらの後ろで、デモ隊はなお数を増しているようです。すると、その圧力に押し支えら
れて、ぼくらの列はじりじりと前に出る。と、それに応えて、警官隊がじりじりと
間をつめる。ぼくは汗が頬を伝っているのを感じました。、、、、、、、
もう威声とも、叫びとも、泣き声ともつかぬ必死の声をあげて、前へ突き進んで行きま
した。、、、、、、、
はっと気が付くと、ぼくのすぐ前には、眼をつり上げて、ぼくらに襲い掛かろう
としている警官隊がいました。警棒も鉄カブトの縁も血に染まり、眼と顔全体が何かに
憑りつかれたように、ぎらぎらと光っています。」

このような状況が正しいか、もっと違う方法がなかったのか、それは個人的な
思いに任せるが、この本やyoutubeから伝わってくるエネルギーの大きさには
共感を禁じ得ない。だが、それも共感という心の寄り添いだけで、行動したいと思う
ことは考えられない。後述する阿久悠の一文そのものでもある。
「憲法改正への動きに対する反対運動では、60年、70年安保を十分昇華しきれなかった
高齢者グループ」も頑張っていたという。彼らには、敬意を表したい。

ある男の想いとしてノンフィクション的にこの時代を概観してみた。
「この時期、世の中は不安な影があちらこちらに見えた。
あの60年、70年安保闘争の激しさは他人事のような、ただ日々の流れの中の
一つに過ぎなかった。三里塚闘争も含め60年代の不安、不定の時代、そして自身が
過ごした70年代の華々しさとも無縁の世界であった。この不安な時代の中に身を
置いた友人もいたが、その後の彼らが今ある日本の姿をどれほど変えたかは、
分からない。然しながら、1968年は時代の節目であったのだろう。ベトナム戦争
のリアルな映像が世界を席巻する中で、学生を中心とする若者たちが自分たちと
国家の関係に疑問を強く抱きはじめた。フランスのパリの5月革命、アメリカの大学封鎖、
日本でも東大封鎖に見られた学生運動の活発化、など世界で若者たちがデモや学校封鎖、
一般のストなどが実行されていた。それは60年安保、70年安保闘争の延長の意味合いも
あったのだろうが、60年安保では、国民の政府への抵抗であり、60万人を超す人が
デモに参加し、この騒乱の中、岸内閣は解散となり、国民の意識も変化し始めた。
しかし、68年の東大での学生運動は強制的な排除となって、挫折した。さらには、
1972年のあさま山荘での連合赤軍の内部闘争での殺人や内ゲバの凄惨さがテレビで
報道され、その無差別な行動が明らかになり、デモや学生運動への嫌悪が高まった。
日頃、政治などに関係ないと思っていた彼もそこに一種の不気味さと嫌悪感を持ったものだ。
70年安保も一応の高まりを見せたが、60年ほどの熱意も薄れ、70年半ばからは、
社会的な拒否意識が強くなった。しかしながら、最近またデモや抗議活動への意識が
高まっているという。大きな起点は福島原発事故への原発反対運動であり、2015年
からの安部政権による憲法改正への動きに対する反対運動である。これには、60年、
70年安保を十分昇華しきれなかった高齢者グループと原発反対からネットワーク化
された若者たちのグループ(たとえばシールズ)の二つの年代層が大きくかかわって
きているという。振り返れば、68年の学生運動、70年安保ともに関係なしと決め込み、
ただ目の前の仕事にのみ全力を尽くしていた自分がいた。個人的にはやはり政治に絡むのは、
好きではない。その思いが最近のシニアグループのこのような活動への理解が低く、
参加意識もない、などの行動となっている。多分、これからもそうなのであろう。
しかしながら当時は、日本にまだ「狂」の空気が残っていた時代でもある。
ちょうど結婚した年であった。企業の連続爆破事件がまず三菱重工のビルであった。
私も、NTTの仕事の関係もあり、あの辺をよく通っていたし、爆発の一週間前にも
三菱のビルの前を通っていた。他人事ではなかった。
この「狂」の影に多くの人が命を失った。

2017.07.07

わたし的輪廻転生その2

さらには、道元も輪廻転生について、その著作中には多くの輪廻に関わる多くの
表現が見出される。だが、これには是を云う背景がなんとなく垣間見える。

「三時業」、「四禅比丘」、「発菩提心」、「仏道」他から引用するなどして、
道元は輪廻の立場に立ちながら、その中において仏道を行じ、そして、生死輪廻の
中において仏道を行ずるということそのままが生死輪廻からの解脱であると
する。
さらに、「道心」では、より詳しく述べている。
「仏道をもとむるには、まづ道心をさきとすべし。道心のありやう、しれる人
まれなり。あきらかにしれらん人に問ふべし。
よの人は道心ありといへども、まことには道心なき人あり。まことに道心ありて、
人にしられざる人あり。かくのごとく、ありなししりがたし。おほかた、
おろかにあしき人のことばを信ぜず、きかざるなり。また、わがこころをさきとせざれ、
仏のとかせたまひたるのりをさきとすべし。よくよく道心あるべきやうを、
よるひるつねにこころにかけて、この世にいかでかまことの菩提あらましと、
ねがひいのるべし。
世のすゑには、まことある道心者、おほかたなし。しかあれども、しばらく心を無常
にかけて、世のはかなく、人のいのちのあやふきこと、わすれざるべし。われは世のは
かなきことをおもふと、しられざるべし。あひかまへて、法をおもくして、わが身、我
がいのちをかろくすべし。法のためには、身もいのちもをしまざるべし。

つぎには、ふかく仏法三宝をうやまひたてまつるべし。生をかへ身をかへても、三宝
を供養し、うやまひたてまつらんことをねがふべし。ねてもさめても三宝の功をおもひ
たてまつるべし、ねてもさめても三宝をとなへたてまつるべし。たとひこの生をすてて、
いまだ後の生にむまれざらんそのあひだ、中有と云ふことあり。そのいのち七日なる、
そのあひだも、つねにこゑもやまず三宝をとなへたてまつらんとおもふべし。七日を
へぬれば、中有にて死して、また中有の身をうけて七日あり。いかにひさしといへども
、七七日をばすぎず。このとき、なにごとを見きくもさはりなきこと、天眼のごとし。
かからんとき、心をはげまして三宝をとなへたてまつり、南無帰依仏、南無帰依法、南
無帰依僧ととなへたてまつらんこと、わすれず、ひまなく、となへたてまつるべし。

すでに中有をすぎて、父母のほとりにちかづかんときも、あひかまへてあひかまへて、
正知ありて託胎せん処胎藏にありても、三宝をとなへたてまつるべし。むまれおちん
ときも、となへたてまつらんこと、おこたらざらん。六根にへて、三宝をくやうじたて
まつり、となへたてまつり、帰依したてまつらんと、ふかくねがふべし。
またこの生のをはるときは、二つの眼たちまちにくらくなるべし。そのときを、すで
に生のをはりとしりて、はげみて南無帰依仏ととなへたてまつるべし。このとき、十方
の仏、あはれみをたれさせたまふ。ありて悪趣におもむくべきつみも、転じて天上にむ
まれ、仏前にうまれて、ほとけををがみたてまつり、仏のとかせたまふのりをきくなり。
眼の前にやみのきたらんよりのちは、たゆまずはげみて三帰依となへたてまつること、
中有までも後生までも、おこたるべからず。かくのごとくして、生々世々をつくして
となへたてまつるべし。仏果菩提にいたらんまでも、おこたらざるべし。これ仏菩薩の
おこなはせたまふみちなり。これを深く法をさとるとも云ふ、仏道の身にそなはるとも
云ふなり。さらにことおもひをまじへざらんとねがふべし」。

だが、これも仏道を会得するためには、輪廻転生という生の循環の中で、たえず三宝を
唱えねばならないとする方便のような気もしないではない。
だが、少し視点を変えて考えると「罪を犯すことの多い衆生、一般の人間に対する行動
信条」とも思われる。「心の救済」と「自身の変容」を言っている。
また、意識の連続を認識させるという点で、ユングの言う集団的無意識の存在に通ずるものが
あるのかもしれない。

一般的に人間の輪廻転生というと、今生きている「自分」という存在が死に、
霊界(あの世)に行く。そして、一定の時間を経て、地上(この世)に再生する
と考えられている。その時、再生するのは「前世」の私と「現世」の私は、
「自分」という全く同じ自意識をもっていると一般には考えられている。
再生する過程について、仏説では、詳細にその過程を述べているようだ。

さらには、特に日本では、輪廻も転生も、言葉としては、は同じであるともいう。
輪廻とは衆生(一般の人間)が、冥界即ち六道、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、
天上、を終わりも知れず、めぐってゆくことである。転生はいわゆる「生まれ変わり」
だが、仏説に描かれているような詳細なプロセスが何故必要だったのか。
疑問は残ったままだ。
私の家の庭にはこの季節になると糸トンボとカラスアゲハがその優美な姿を見せる。
彼らの行動を細かく見ていると、それは毎年同じように繰り返される。
もし私が彼らが卵を産みそこから新たに生まれるということを知らず、ある冬の日、
その遺骸を見たとする。私はどう思うだろう。彼らは生まれ変わってきた、転生
したと思うだろうか。輪廻転生もそのように日常のしごく当たり前の出来事の1つ
と思えばよいのであろう。もっとも、六道の輪廻はなぜ、そこまで厳密な定義
をしなくてはならないのか、依然不明だが。

2017.06.30

わたし的輪廻転生その1

別に個人的に人の生まれ変わりに大いなる興味を持っているわけではないし、
見えるモノ、科学的に論証できるものがすべてという近代科学の悪弊意見に
賛同を唱えるわけではない。さらに、今の自分が犯した罪を来世の中で
チャラにできるからというご都合主義的な考えもない。
しかし、仏教が広く広めたのであろう。輪廻と転生の考えは日本人の中に
長く棲みついてきた。それは私の中でも育まれてきたように思う。
ここで輪廻転生の高尚な理論や仏教での位置づけなどにあまり興味はない。
しかし、自分の意識の中にも根付いている「生まれ変わり」「死後の世界への
想い」に個人的な納得感を持ちたい、との想いはある。

まずは、山折哲雄氏の「近代日本人の宗教意識」という本では、
「私が面白いと思ったのは、わずか2例であるけれども中絶した子供の「生まれ変わり」
と考えている水子供養者がいたことである。
「生まれ変わり」という輪廻転生イメージに結びついた罪障感が、合法的な中絶行為
と表裏一体をなすような形で浮上している。、、、、
考えてみれば、このような輪廻転生の考えは我が国においても長い歴史があった。
大別してそこには、2つの大きな流れがあったのではないだろうか。
1つは死んだのちに人間の魂が山や海に行くという信仰である。
その後、祖霊や神になってこの世を訪れるという観念が加わった。もう1つが
仏教の来世観によってもたされたもので、死後おもむくべきところとしての
地獄や浄土の信仰が広まった。以上の2つの流れが重なり合い、死者の成仏を
願って行う先祖供養が形成されていった。霊魂の行方が「六道」といった形で
細かく分類されたり、多彩にイメージされるようになった。
そうした霊魂観が比較的濃厚だった近代以前の社会では、中絶がそれほど大きな
精神負担にはならなかったようである。
たとえ水子として流されても、ふたたび生まれ変わる可能性が共同体の中で
信じられ承認されていたからである」
とある。

死後の世界を肯定する場合には、この考えが必然的に出てくるのであろう。
だが、それには六道輪廻と呼ぶような霊魂の循環というよりも、前世と来世の自分は、
という直線的短絡的な考えが多いのではないだろうか。水子供養も生を生み出せなかった
ものの心の癒し的な意味合いが強い。個人的には、「1つの生と智慧の流れ」と呼ぶべき
モノの存在を明確にしたのでは、と思う。

そもそも輪廻転生について、少しながら引っ掛かりを得たのは、三島由紀夫の
「春の雪」の一文からであった。
少し長いが再読するのは中々に面白い。

「もし生まれ変わりということがあるとして」と本多はいくらか性急に話を進めた。
「それよりもさっきの白鳥の話のように、前生を知る智慧がある場合はいいが、
そうでなかったら、一度断たれた精神、無関係な思想が、次の人生に何の痕跡も
とどめていず、そこでまた、別個の新しい精神、無関係な思想が始まることになり、、、、
そうすれば、時間の上に一列に並べられた転生の各個体も、同じ時代の空間に
ちらばる各人の個体と同じで意味しかもたなくなり、、、、、そもそも転生という
ことの意味がなくなるんじゃありませんか。もし生まれ変わりということを
1つの思想と考えれば、そんなに何の関係もないいくつかの思想を一括する思想なんて
あるんでしょうか。現に僕たちは何1つ前世の記憶を持っていないのだから、
それからしても、生まれ変わりとは、決して確証のありえないものを証明しようとする
無駄な努力みたいですね。それを証明するには、過去世と現在世を等分に眺め、
比較対照する思想的な見地なければならないが、人間の思想は、必ず過現末の
どれかに偏して、歴史のただなかにいる「自分の思想」の家から、逃れようもないから
です。仏教では、中道というのがそれらしいけど、一体、中道とは、人間の持つ
ことのできる有機的な思想かどうか怪しいものですね。

一歩退いて、人間の抱くあらゆる思想をそれぞれの迷妄と考えれば、過去世か現在世
へと転生する1つの生命の、過去世の迷妄と現在世の迷妄を、それぞれ識別する
第3の見地がなければならないが、その第3の見地だけが、生まれ変わりを証明することが
できて、生まれ変わる当人には永遠の謎にすぎない。そして第3の見地とは、おそらく
悟りの見地なのだろうから、生まれ変わりという考えは、生まれ変わりを超越した
人間にしかつかめないものであって、そこで生まれ変わりの考えがつかまるとしても、
すでにそのとき、生まれ変わりというものは存在しなくなっているんじゃないか。
僕らは生きていて、死を豊富に所有している。弔いに、墓地に、そこのすがれた花束に、
死者の記憶に、目の当たりにする近親者の死に、それから自分の死の予測に。
それならば死者たちも、生を豊富に多様に所有しているのかもしれない。

死者の国から眺めた僕らの街に、学校に、工場の煙突に、次々と死に次々と生まれる
人間に。生まれ変わりとは、ただ、僕らが生の側から死を見るのと反対に、死の側から
生を眺めた表現にすぎないのではないだろうか。それはただ、眺め変えてみた
だけのことではないだろうか。
、、、、、、、、
「同じ個体が、別々の思想の中へ時を隔てて受け継がれていくとして、不思議ではないでしょう」
「猫と人間が同じ個体ですか?」
「生まれ変わりの考えは、それを同じ個体と呼ぶんです。肉体が連続しなくても、
忘念が連続するなら、同じ個体と考えて差し支えがありません。個体と言わず、
「1つの生の流れ」と呼んだらいいのかもしれない」。、、、、、、、、
たしかに人間を個体と考えず、1つの生の流れと捉えれる考え方はありうる。
静的な存在として考えず、流動する存在としてつかまえる考え方はありうる。1つの存在が
別々の「生の流れ」の中に受け継がれるのと、1つの「生の流れ」が別々の思想の中に
受け継がれるのとは、同じことになってしまう。生と思想とは同一化されてしまうからだ。
そしてそのような、生と思想が同一のものであるような哲学を推し広げれば、無数の
生の流れを統括する生の大きな潮の連環、人が「輪廻」と呼ぶものも、1つの思想で
ありうるかもしれない。

三島由紀夫の「豊穣の海」の基本テーマが輪廻転生であり、独特の豊潤な文体と
文の流れは読みにくい所もあるが、大いに参考にはなる。

2017.06.23

宮部みゆきと自分

テレビを何げなく見ていた時、突然、昔よく読んだ宮部みゆきの小説に
似た情景があったな、と思った。
彼女の小説は社会性と人間の内面性をよく描いているので好きな作品が多かった。
一歩間違えれば、私も彼女の小説の一片をなしていたかもしれない、哀れな
生い立ちを持つ不幸な殺人者として。そんなどこにでもある、しかし有り得ない
情景がかえって怖い。
宮部みゆきの本は、何冊読んでも、面白かった。
「火車、理由、名もなき毒、模倣犯、楽園、ソロモンの偽証」などなど、
社会問題を上手く扱い、その人物描写の上手さ、展開の面白さ、は
なんとも言えない。人物描写の上手さでは桐野夏生、乃南アサなど私の好きな
女性作家もいるが、チョット違う。また、そのボリュームの大きさでも、
圧倒的な迫力がある。

それらの中では「火車」が一番と思っている。
遠縁の男性に頼まれて彼の婚約者の行方を捜すことになった刑事が、
自らの意思で失踪、しかも徹底的に足取りを消していることを知る。
なぜ彼女はそこまでして自分の存在を消さねばならなかったのか、
いったい彼女は何者なのか、謎を解く鍵は、カード社会の犠牲とも
いうべき自己破産者の凄惨な人生に隠されていた。「お金」によって
もたらされる「絶望感」がそこにある。その「絶望」の中転がり落ちていく人を、
作中で「蛇の脱皮」に例えている一文がある。
「皮を脱いでいくでしょ?あれ、命懸けなんですってね。すごい
エネルギーが要るんでしょう。それでも、そんなことやってる。
どうしてだかわかります?」
「一生懸命、何度も何度も脱皮していくうちに、いつか足が生えてくるって
信じてるからなんですってさ。今度こそ、今度こそ、ってね」
「べつにいいじゃないのね、足なんか生えてこなくても、蛇なんだからさ。
立派に蛇なんだから」
「だけど、蛇は思ってるの。足があるほうがいい。足がある方が幸せだって」

さらに思うのは、この小説では「犯人たる彼女を客観視点のみ」で描いている。
過去の回想シーンであっても、必ず「犯人」を知っている誰かの視点
から描いていて、「犯人」を直接的に描写しているシーンというのが
一切無い。その結果、「誰かの客観的な観測」を何層も重ね合わせて
いくことで、おぼろげな「犯人像」が徐々に形を成していく。
小説に描かれている断片から読者が頭の中で犯人を形成していく。
これは今のような情報があふれ、それぞれがそれぞれの思いで勝手に
人物像を作り上げ、そこには責任が存在しない社会の一端に触れている
ようでもある。それは私も同じだ。自己完結していると思っている
自分も考えれば、自分に滞留している記憶のシーンを自分に都合のよい形
に当てはめているパズルゲームなのかもしれない。

そんな思いさえ浮かぶ。彼女の作品に共感するのは、単なるエンターテインメント
の域を超えているからであろう。いまここにいることがパズルゲームの
一つなのかもしれない。
しかし、この「火車」を数回読むうちに、ふと湧いた疑問があった。
「自分」というものはふしぎなものだ。だれもがまるで自明なこととして
「自分」という言葉を用いているが、われわればどれほど「自分」を
知っているだろうか。
たとえば、輪廻転生というが、「私は何だ。転生したら体は変わるし、
その前の自分はどうなるのだろう」。
インドの説話に次のような話がある。
ある旅人が空き家で一夜を明かしていると、一匹の鬼が死骸を担いで
そこへやってくる。そこへもう一匹の鬼が来て死骸の取り合いになるが、
いったいどちらのものなのかを聞いてみようと、旅人に尋ねかける。
旅人は恐ろしかったが仕方なく、前の鬼が担いできたというと、
あとの鬼が怒って旅人の手を引き抜いて床に投げつけた。前の鬼は
同情して死骸の手を持ってきて代わりにつけてくれた。あとの鬼は怒って、
足を抜くと、また前の鬼が死骸の足をくっつける。このようにして
旅人と死骸の体がすっかり入れ替わってしまった。二匹の鬼は
そこで争いをやめて、死骸を半分づつ喰って出て行ってしまった。
驚いたのは旅人である。今ここに生きている自分は、いったい
ほんとうの自分であろうかと考えだすとわけがわからなくなってしまうのである。
この話は「自分」ということの不可解さをうまく言い表している。
このように考えだすと全く分からなくなる。ここでは体のことになっているが、
たとえば、われわれは職業を代えても、私は私と思うだろう。
住居を代えても、私には変わりはない。しかし、そのようにして自分に
そなわっているすべてを次々と棄ててしまって、そこに「自分」
というものが残るのだろうか。それは、ラッキョウのように皮をはいでゆくと、
ついに実が残らないモノではなかろうか。

解けないパズルを無理にでも解こうとする、そんな想いが私の心にふつふつと
わいた。それは自身の何回かの転換と呼んでいる自分への想いでもある。
そして、この疑問は何かの拍子にふと私の心の扉から出てくる。
「理由」も好きだ。マンションに住んでいた家族と思われる人たちが
何の関係のない人の同居であることが徐々に明らかになる「理由」は
人間関係の薄いマンションという隔絶した世界と人の心理を描き出している。
ミステリーは殺人のような非日常性が基本であり、そこに読者は安寧と
一瞬の心の高まりを感じる無責任なものである。宮部みゆきの作品に
興味を魅かれるのは、そこに人間性と社会性が強く醸し出されているからだ。
だが、「もし火車のような人生が自分に降りかかってきたら」、
「理由に出てくる老人に自分がなっていたら」背筋をゆっくりと冷たい汗が
流れ落ちていく。
だが、人の人生は紙一重、何とか60年以上を過ごしてきたという、
安堵の気持ちが体をジワリと温めた。
2年ほど前の大病を契機に今までのコンサル等の仕事凡てを辞めた。
自分の見直しを1から始めようと、1500冊ほどあったマーケティングや
ITの専門書やミステリーの本をすべて捨てたが、宮部さんの本だけは
書棚にポツンと残っている。
次の自分が見つかったら、手に取って読みたいものだ。

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